点字表記の変遷  日本の点字表記については大きく分けて次の四つに分類できると思います。  ア)点字の黎明期 1890〜1900(明治23〜33)の約10年間  イ)漢語と和語の仮名遣いを使い分けた折衷式仮名遣いの時期 1900〜1920(明治33〜大正9)の約20年間  ウ)点字が独自の表音式表記法を行った時期    1920〜1950(大正9〜昭和25)の約30年間  エ)点字の統一と体系化を目指して組織的な取り組みを行った時期 1950〜1966(昭和25〜41)の約15年間 ア)点字の黎明期 1890〜1900(明治23〜33)の約10年間  当時の点字は、五十音のほか、濁音、半濁音、数字、つなぎ符号程度で、墨字と同様に歴史的仮名遣い イ)漢語と和語の仮名遣いを使い分けた折衷式仮名遣いの時期 1900〜1920(明治33〜大正9)の約20年間  一般の教育界では漢字音を表音式に書き表そうという機運が顕著になり、1900年には小学校令に「字音仮名」(字音棒引き)が明記され教科書に使用。  点字においても表音式の機運が高まり明治31年拗音点字を発表、32年に東京盲学校が採用、34年「日本訓盲点字」として官報に掲載されました。36年(1903)点字国定「小学校国語読本」(字音棒引き=長音符)に使用。40年(1907)に開かれた第一回全国盲亜教育大会において表音式仮名遣いを決議し、特殊音「ファ行」「ヴァ行」など追加。 日露戦争の国粋主義の高まりの中で41年(1908)に小学校令から「字音仮名」が削除されたが、石川倉次らは反対し漢語は表音式を続けた。その後10年間に和語も表音式にすべきだという機運が高まっていった。 ウ)点字が独自の表音式表記法を行った時期    1920〜1950(大正9〜昭和25)の約30年間  前の時期に、漢語に続いて和語も表音式仮名遣いへと変わっていった。  大正11年(1922)に創刊された「点字大阪毎日」が表音式かなづかいを採用したことから急速に普及し新しい時期を迎えた。  昭和12年(1937)には沢田慶治による特殊音の追加と集大成が行われた。現在使われている分かち書きの基礎が培われた時期である。  昭和15年鳥居篤治郎らが近畿盲教育研究会に「点字規則」を発表。近盲研は、「点字研究委員会」を発足させた。  当時は、「読みよく、書きよく、わかりやすく」をモットーに経験的な立場で研究が進められた  戦後の国語改革として、昭和21年に国語審議会が「現代かなづかい」を制定したが、点字の表音式かなづかいと基本的に異なるものではなかった。 エ)点字の統一と体系化を目指して組織的な取り組みを行った時期 1950〜1966(昭和25〜41)の約15年間  この時期は、点字の統一と体系化を目指して組織的な取り組みがなされた時期。 パリで開かれた「世界点字会議」(1950年)や「世界点字楽譜統一会議」(1954年)に参加するなど、国際的な関係が深まるにつれて、全国組織の必要性が痛感されるに至り、昭和30年(1955)に「日本点字研究会(日点研)」が発足した。 日点研は、全国の盲学校を主とした組織であり、点字表記法を語法的に体系づけようとした。約10年間に「点字文法」とその改訂版。「点字数学記号」「点字理科記号」「点字邦楽記号」など出版。    昭和41年(1966)に全日盲研に点字部会が設けられたのを機会に「日点研」は解散、新たに盲教育界と盲人社会福祉会から委員を出し合い、「日本点字委員会」が発足した。  日点委は、点字表記法の統一と体系化を目指して活動し、十数項目の合意を得たので、昭和46年(1971)に「日本点字表記法(現代語編)」を発行、次いで小数点の統一をし48年その改訂版を発行した。その後、点字制定90周年を記念して55年(1980)に「改訂日本点字表記法」を発行した。この頃から出版所や図書館がこの表記法に従うようになった。  平成2年(1990)に「日本点字表記法1990年版」。特殊音の追加、記号の変更と追加、分かち書きの原則の見直し(拍数の概念を取り入れ3拍以上の自立可能な成分は分かち書きをする、「する」の切れ続きなど大きな改正点)。  平成13年(2001)年に「日本点字表記法2001年版」が発行。