白い杖 第23号


和歌山市視覚障害者福祉協会機関誌「白い杖」

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巻頭言
   会長 北山豊
 ようやく桜の花もほころびはじめ、平成七年の新年度がスタートしました。
会員のみなさんお元気でしょうか。平素は本会発展のために格段のご協力をたまわり深謝申し上げます。
さて、我が代の春ということばがありますが、平成七年度のわが国における、視覚障害者施策を見るとき、僅かに障害基礎年金がアップされたものの、他にみるべき施策はまったくありません。そこで我が日盲連では、平成七年度の重点運動方針の一つとして、各地域での視覚障害者団体の組織拡大強化を図ることをとりあげました。
私達としても早急に解決しなければならない多くの問題を抱えています。
視覚障害者の多くは、その職業とする三療が今重大な危機にたち至っています。カイロ等無免許営事業者の問題、あはきの健康保険取扱いに関わる医師の同意書撤廃等々はじめ、障害基礎年金の月額十万円支給、視覚障害者の住みよい社会の環境整備など、数え上げればきりのないほど多くの問題が山積しております。
宮本武蔵の有名なことばに「我ことに処して悔いること無し」というのがあります。人間、誰でもすべてうまく事が運ぶとは限りません。勿論、失敗もあります。しかし、事を処するに当たって、全力をあげて打ち込めばたとえそれが失敗に終わったとしても、懸命にやった満足感から悔いる事はないと私は思います。
県下で最大の視覚障害者団体である本会が、総力を挙げて当面の問題解決をめざしことに処すれば、そこには自ずから道が開けてくると考えます。
私も初心にかえり決意を新たにして、国に対する要望は日盲連において、県に対する施策については県盲で、また、最も身近な和歌山市当局との交渉については、勿論、市当局と強力に推し進めてまいりたいと思います。そして、来年の春こそは、我が代の春を謳歌できるよう、一歩でも二歩でも近づけようではありませんか。ことに処して悔いの無いよう会員各位のなお一層のご協力とご鞭撻を期待いたします。

和視協平成六年度事業実施報告
   書記 北山和代
会議
執行部会四回。理事会四回。
市身障連盟理事会四回。他団体との交流会数回。
連絡文書九回。電話数回。その他若干。
四月三日 定期総会、十時三十分より、県総福にて、決算予算等承認、後本年は役員改選期ゆえ次の方々が選ばれました。
会長 北山豊、副会長 宮本克二、同 山崎景生、監事 渋田幸子・小池清志、書記 北山和代、会計 北口豊、以上向こう二年間つとめることになりました。
席上会員各位より出された要望問題点等は随時解決に向け、頑張って行くから協力して欲しいという新役員の挨拶で十五時すぎ閉会しました。参加者七十八名、委任状四十三通でした。
二十四日 理事会、県総福にて、本会名称変更につき呼び名を「和視協」とすることを決めました。また、執行部が受け持ちを分担し進めて行くように決まりました。
五月八日 市身障連盟福祉大会、早朝より市役所玄関にて福祉大会、席上本会より次の二名が市長表彰を受けられました。
自立更生 雑賀邦夫さん(城東分会)、内助の功 宮本好子さん(東和分会)それぞれおめでとうございました。その後バスにて京都太秦の映画村にと向かいました。和視協よりの参加者は大会に五十名、観光には四十六名の参加でした。
六月十九日 点字競技会、県総福にて二十五名が参加して行いました。宮本副会長の企画により少し趣をかえ、リレー目書き、しりとりゲーム、一字違いゲーム等、腕を競い合いなごやかな競技会となりました。
七月十日 文芸研修会、マンネリ化し、参加者が少なくなってきたため、何か魅力のある事業にと北山書記の企画にて、NHK元アナウンサーをお招きし「話し方教室」としました。飯田アナウンサーのユーモアあふれる講演、それに流れるようなしゃべり方に、みんな耳を傾け質問なども多く出ていました。本事業としてはめずらしく六十二名の参加でした。
十六日 「世界リゾート博」の幕が落とされ、九月二十五日までリゾート博一色。本会会員も何度かこのマリーナシティに足を運ばれたことでしょう。
八月二十八日 福祉学習会、和歌山市ふれ愛センターにおいて、各分会長が会員からの要望事項等を持ち寄り、とりまとめ、関係各位に要望し話し合い理解してもらって、解決できるものから解決して行き、また、改善すべきは改善してもらうよう頑張ろうと申し合わせました。参加は理事監事でした。
九月四日 和歌山市長杯争奪身障連盟将棋大会、市ふれ愛センターに肢体、視覚、聴覚の三団体より約六十名が参加し、日頃の練習ぶりを競い合った結果、本会の作畑光次さん(新光分会)がBクラス三位を獲得されました。
十八日 どんぐり句会および総会、県総福和室において十数名の参加で行われました。
二十五日 市身障連盟主催福祉対策競技会、市ふれ愛センターに肢体、視覚、聴覚の三団体代表十六名の参加で行われました。本会より以下、三題の要望事項を持って執行部が参加しました。
要望事項(福祉学習会に出された事項より)
一 市ふれ愛センターの会場借り上げ手続きの簡素化を。(回答)すでに実施している。PR不足だった。
二 市民図書館にて墨字図書を借りる場合の期間引き延ばしを。(回答)リクエストが多い場合は無理。大勢が利用しているから。
三 水道のメーター検診のカードに点字表示を。(回答)担当と相談し検討したい。
その他、点字ブロック上の整備。放置物件等除去。等々、声があった。
十月二日 県福祉大会、かつらぎ町のあじさいホール。本会より付き添いとも三十二名参加し、北山会長が視覚部会を代表し、意見発表を行った。三議題とも本会福祉学習会よりのものを発言し訴えた。席上、自立更生部門で井畑邦彦さん(河西分会)、内助功労では安藤照代さん(新光分会)、それぞれが知事表彰を受けました。
七日 和歌山市社会福祉協議会(市社協)の平成六年度福祉大会、市民会館大ホールにて行われました。席上本会新宮良夫さん(和歌浦分会)が社会福祉功労にて市社協会長表彰を授賞されました。
二十日 市身障連盟平成六年度第一回教育講座、関西電力の協力により姫路第二発電所LNG液化ガス発電所見学。役員等十五名参加しました。
十一月六日 社会見学、早朝より雨が降り中止しようと思いつつ「午後からは晴れるでしょう」との天気予報にまどわされ決行。温山荘にて福引き会、後自然博物館を見学し、降り続く雨の中親睦を図りました。当日の参加者は二七名でした。
十二月十一日 文化研修会、県総福において、一部カラオケ大会十九名出場、二部腹話術腹話術協会より横矢カズエ先生、宮本俊喜先生の協力を得て楽しみ、三部はお楽しみ抽選会となごやかな和視協の年忘れ会としました。参加は付き添いとも五十一名でした。
一月二十二日 幹部研修会並びに更生相談員会、十一時より市ふれ愛センターにて行われました。更生相談員会では、それぞれの相談員が持ち寄った問題点を話し合った結果、ガイドヘルパー問題、音響式信号機など、話題の中心となっていたようです。幹部研修会では、福祉機器などの展示およびその説明が行われ参加した理事・監事達は熱心に質問し研修しました。
二十六日 市身障連盟平成六年度第二回教育講座、市ふれ愛センターにて講演会「和歌山の民話を聞く会」が行われました。参加者は七十名内和視協からは二十数名の参加でした。
行事は以上ですがここで最後になりましたが、本会会員でお亡くなりになられた方々は次の通りです。つつしんでご冥福をお祈り申し上げます。
平成六年三月二十九日 岡田治一郎氏(紀伊)八十四才
平成六年七月二十三日 渡辺勝人氏(紀伊)六十一才

平成六年度和視協婦人部活動報告
   婦人部長 塩崎妙子
 視覚障害者福祉協会婦人部では、平成六年度の生活訓練事業を次の通り行いました。
一 料理講習会、六回。春夏秋冬四季折々のすぐに間に合う家庭料理と食品の栄養価について
二 お茶、六回。お手前の仕方といただき方とともに人としての心得と心遣いについて
三 お花、六回。花の美しさを手に触れて感じとり、生活をうるおすためにその生け方について
四 現代マナー、十二回。人のさまを見る事のできない私達が、一般に知らなければならないマナーを直接手をとっての実践。
等々、これらすべて専門の講師を迎えて、ご指導いただき共に助けながらわきあいあいと楽しく学びました。
これからもこのことと共に、私達視覚障害者婦人が一般の人と見て変わらぬ婦人となるために色々と挑戦し、知識を深めて行きたいと思っております。
みなさんどうか一人でも多くこの生活訓練事業にご参加くださいますよう婦人部一同お待ち申し上げております。

会員コーナー
終戦後五十年節目の年に思う
   紀伊分会 中井定六
 第二次世界対戦が終結して今年は五十年という節目の年です。障害者の一人としてこれを考えてみますと、一九七五年(昭和五十)十二月九日第三十回国連総会において「障害者の権利宣言」が採択され、続いて、一九七九年(昭和五十四)六月十三日第三十四回総会では、「国際障害者年行動計画」が全会一致で決議されました。
その中に、「行動計画の概念構成の原則」ということで、五つの項目があげられていますが、その一項に「障害者の多くの者は、戦争及び他の形態の暴力の犠牲者であるという事実に思いをいたすなら、国障年は世界平和のための諸国民間の継続的で強い協力の必要性を強調するひとつの機会として、具体的に利用されるものである」と述べています。これは、第二次大戦では核兵器を筆頭にかつてない破壊力、殺傷能力の強い兵器が使用されるなど、直接あるいは間接的に非常に多くの障害者を生み出したこと、及び障害の原因が戦争とはかかわりのない障害者も同じく戦争による大きな被害をこうむったという事実からも、「永久の世界平和の確立こそ障害者にたいする真の権利保障である」と、いうことを述べているのです。
私たち視覚障害者も世界の動きや国内政治の動きに注意し、障害者の立場からも平和な世界の実現のために訴えて行きましょう。
身近なことでみても、この頃では白杖を持って道を歩いていると、行き先を聞いてくれたり、一緒について行ってくれたりする人が多くなりました。また、障害者や高齢者に対する市民の方々のボランティア活動も盛んとなり、たいへん有り難いことです。これらのすべてがそうだとはいいませんが、こうした世相を生むに至るには、遠い昔からの障害者とその理解者たちによって積み重ねられた努力と功績(日本では杉山和市、塙保己一や明治以降各地に盲聾唖学校を創設された諸先輩等)に加えて、この「国障年行動計画」の高い活動理念に基づくところが大であろうと思います。
衣・食・住その他、物不足が極限に達した社会。その上になお空爆等により都市を焼き尽くされ破壊し尽くそうとする戦い「人間による戦争」の中では、障害者や子供のような弱い者にまで手をかす余裕などなくなるのです。

西和分会便り
   西和分会 山田厚
 私が学校の勤めを辞めて市盲人協会(現在、市視覚障害者福祉協会)に入会し西和分会に所属してから十五年程になりました。
その頃は松浦孝志、雑賀勉氏らも健在で役員として活躍されていたので、私はただのんびりと年寄り気分で過ごしていましたが、何かの拍子で市盲協の監事を頼まれてから、俄かに因縁が深くなってしまいました。
西和分会には故雑賀勉氏が、希望する人は何処からでも入会を奬めたようで現在、紀三井寺、杭の瀬、塩屋の地域の方も入会されていて二十三名の大世帯となっております。
五年前仁坂氏から分会の会計を頼まれ、更には昨年四月から分会長までも引き受けさせられました。お陰で市盲協の監事の役はご免となりましたが、分会を代表して市の理事会に出席してその決議を分会員に通知するのがひと仕事です。電話よりも確実にと思って点字と墨字の両方の文書を作って自宅に届けるようにしていますが墨字はコピーをしても点字は手書きのため、三原さんや中西先生の助けを借りたりしています。
分会の会計を引き継いだとき故中谷静馬氏が死去された際に西和分会にも二十万円の寄付金を頂いたことを初めて知りました。現在の二十万円ならばそれ程の大金ではないかも知れませんが、あの終戦後の不況の頃からこつこつと汗して貯えられた貴重なお金であることを思うと、仇おろそかには使えないものと定額貯金として残されておりました。しかし、このまま残しておくよりは分会のために活用するのが中谷氏の遺志にも添うのではないだろうかということになり、定額貯金を解約したら六万円程の利息がついていました。
二十万円の元金は再び定額貯金として残し、いままで徴収していた分会費を取り止めてこの利息分で賄うことになりました。分会費は会員の入院時の見舞金、死亡の際の香典料、それに二年に一度の分会総会時の昼食弁当代が主な支出になっています。今日現在なお三万円程の利息分が残っており、分会員が健康で長生きしてもらえればこの二十万円は更にあと二十年程の先までも活用できるのではなかろうかと計算したりしております。中谷さんには生前昭和三十五年頃に大阪府盲の生徒が男女問題で和歌山盲へ転校を余儀なくされた時に快く自宅に引き取って面倒を見て頂いたことがありました。温厚篤実なクリスチャンであられたようでした。人は死しても名を残すという通り、死後これほど長い間西和分会のために役立つお金を頂戴したことを改めて思い返してお礼を申し上げるとともにお金の有益な使い方について教えられたようにも感じました。
私は、本年喜寿を迎えました。来年の役員の改選では分会長も会計も若い方と交代したいと願っております。

新しくなった盲学校臨床室
   紀伊分会 宮本克二
 平成三年度の寄宿舎および食堂の改築、平成四年度の小中棟の改修に引き続き、昨年(平成六年度)には管理棟の改修が行われ、約三十年ぶりに理療科の施設が新しくなりました。特に理療の資質がとわれる昨今、それを遂行するためにふさわしい理療科臨床室ができたように思えます。
広い空間を持つ第一臨床室と第二臨床室にはそれぞれ電動ベッドを配置し、各ベッドの間は間じきりカーテンでしきられています。臨床室のスペースには臨床検査室、物理療法室、水治療法室、機能訓練室などの部屋があり、それぞれエアコンシステム、BGM用スピーカー、手指電動乾燥装置などが設備されています。
国家試験の導入によりあはき免許取得のための教科課程が改訂され、リハビリテーション医学や理療臨床論などの教科が新設されました。それらの教科の内容を消化するため上記のような施設が必要となってきています。
「絵に描いたもち」、「見かけだおし」にならないよう内容についても充実していかなければと思っています。

☆クロスワードクイズ
「タテのかぎ」
一A、今年二十四歳、三十六歳、四十八歳、六十歳になる男性達がそうです。
三A、種をまいて、……の瞬間を観察、記録する。
五A、……の恩は、山よりも高く、海よりも深かし。
六A、その名調子、名演ぶりから、まるで見てきたようなうそをつくといわれる職業は?
八A、これからの季節は、特に雪崩による遭難に充分注意して欲しい
四C、地鎮祭などで、儀礼的に土の中に入れるもの。
七C、チャンスやピンチの時に、選手を呼んで監督が……を授ける。
二D、当世風に申せば、ガードマンでしょうね。
五D、仲間割れや分裂騒ぎばかりしていないで、……一致して国政に当たってほしい。
三E、加賀百万石の城下町をかかえた北陸の県名。
八E、ささいなもめ事が……となって、大げんかに発展。
四F、銭湯の……場などで悪事を働く「板の間かせぎ」
七F、トマトの皮のむき方。
一G、受験勉強から解放された人たちが、大いに伸ばすものは?
「ヨコのかぎ」
三A、この冬も、道行く人々によく見かけるちょっとおしゃれな感じの丈の短い防寒衣料。
一B、温泉か石油が出ないか、試しに掘ってみると。
五B、魔がさしたか悪の誘惑に負けて、それまでの一生を……に振る。
三C、これをひけらかしたり、鼻にかけたりするのは感心しませんな。
六C、政治腐敗を防止し、透明な政治を願って、閣僚や国会議員のは公開されるようになりました。
一D、旧幕府軍と薩長連合軍が戦った「……伏見の戦い」
四D、おなじみの「水戸黄門シリーズ」でいうと、助さんや格さんのような役どころ。
一E、遠慮のいらない、親しい間柄。
五E、遊ぶ事ばかり考えないで、勉強にもっと……を出してやってくれるといいのだが。
二F、今年から始まった、NHKの大河ドラマの主人公を演じている人は。
一G、よく知りもしないのに、知ったかぶりをする人。
七G、……の境地。
三H、数学でxとともによく使われる記号。
六H、隣家との間に作るもの。

編集後記
   編集部
「和歌山市視覚障害者福祉協会」に改称して、最初の機関誌「白い杖(二十三号)」を発刊出来ましたことは大変うれしく思います。
今回は編集担当者も代ったことから、以前のものと内容が少し変わったと思われるかも知れません。新企画として「クロスワードクイズ」を掲載しましたがどうだったでしょうか。
これからも、皆様方にご愛読して頂く機関誌にして行きたいと思います。
最後に、この機関誌発行に当たり、ご協力いただきました方々に心より感謝申し上げます。

入会のおすすめ
 本会は、和歌山市内に居住、身体障害者手帳をお持ちの視覚障害者なら、どなたでも入会して頂きたい団体です。県盲人協会を通じて日本盲人会連合につらなり、市身体障害者連盟を通じて県身体障害者連盟に属しています。
私達、視覚障害者の福祉を高めるには、何といっても組織を強めなければなりません。その一つの策は、会員を増すことです。力が足りないため思うことの大部分は絵に描いた餅に終わっているのが現状です。未加入の方は、知友とおさそい合わせになってお入り下さい。手続きは至極簡単。入会の意志を会長あて申し込んで頂くだけで結構です。詳しいことは、その時連絡いたします。

☆事務所
〒六四〇和歌山市太田五八六番地の八
北山豊
電話七一局七一九四




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