白い杖 第42号


和歌山市視覚障害者福祉協会機関誌「白い杖」第42号





白 い 杖
第42号
平成26年3月
発 行 和歌山市視覚障害者福祉協会

          目次

 1. 巻頭言
 2. 平成25年度和視協事業報告
 3. 平成25年度和視協女性部事業報告
 4. 和視協結成60周年を迎えて
 5. ニュ−フェ−スのご紹介
 6. あがらの広場
     6-1 「親切」について思うこと
     6-2 梅の香に誘われて
     6-3 十人十色、私の独り言
     6-4 点字と私
 7. 文芸の広場
     7-1 「若竹」(俳句)
     7-2 川柳の部(ドングリ)
 8. お楽しみ懸賞クイズ
 9. 編集後記

    製作・発行:和歌山市視覚障害者福祉協会
    〒640-8314 和歌山市神前285-16
     電話073(472)7872
    ホームページ・アドレス http://washikyo.org/

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 巻頭言

会長  畠中 常男

昨年度は市身連、又、今年度には和視協の結成60周年を迎え、めでたさの中にもついぞ無く多忙な数年間を経験しました。
なにぶん不慣れなものでありますから、執行部や理事・監事の方々をはじめ、会員の皆様にはたいへんなお力添えとご支援をいただきました。 この場をお借りして、改めて深謝申し上げます。
さて、我らが和歌山市視覚障害者福祉協会は、結成以来60年という永きにわたり、ひたすら視覚に障害のある人々の、生活と地位の向上、又、ともすれば孤立しがちな人と人との親睦に努めてまいりました。
 皆さんのご協力により、毎回の行事も概ね盛会で、会の運営状況はたいへんいいのですが、ここ数年会員数が減少し、ついに三桁を切り、現在96名となりました。
 昨年10月の和視協結成60周年記念式典の場において、70年へ向けての目標を掲げましたが、それらに勝る最優先課題として、会員の増加策・入会勧誘を進めなくてはなりません。
 平成25年3月31日現在、和歌山市在住で、視覚障害により手帳を交付された人は1256名とのことですので、せめてその1割の方々に入会してもらうことを、目標に掲げたいと考えます。
 数は力なりともいいます。 会の事業を充実させるにも、また、行政や各方面との交渉においても、会員数を増やし、組織を強化することが喫緊の仮題であります。 どうぞ皆さん、和視協の未来に向けて、会の組織強化にご協力をお願いいたします。


 平成25年度和視協事業報告

書記 坂井 勉

 以下、本年度に行われた行事を、和視協の行事と、関連団体の行事に分け、時系列的にご紹介いたします。

 4月7日 和視協25年度総会 ふれ愛センター3階研修室1 3階会議室2 13:00〜 
     議長:寺本氏・宮地氏 会員数98名 出席者 44名 委任状 27通 計71名

 4月14日 和視協執行部会 ふれ愛センター3階会議室1 10:00〜
      和視協第1回理事会 同所 11:30〜

 6月2日 点字教室 ふれ愛センター3階研修室2 13:30〜 
    「中途視覚障害者のための点字入門講座」
     日本ライトハウス盲人情報文化センター職員:岡田弥氏 機関誌
    「白い杖」クイズ正解発表と表彰 参加者37名
 中途失明者の点字収得に関する問題点やパソコンの普及による点字離れとの関わりなどについての話しを聞く。

 7月7日 第1回教養講座 ふれ愛センター2階会議室1 13:30〜 
    「竹スピーカーを聴く」梅田電気社長:梅田 寛氏 参加者30名
 荒れ放題の竹藪を整地する中で、処分するはずの竹をそのまま焼却するにはあまりにも忍びないと考えたことから産まれた竹スピーカーの誕生にまつわる秘話や苦労話を聞く。

 8月25日 第2回執行部会 ふれ愛センター3階会議室2 10:00〜 
     理事会 同所 13:30〜

 9月22日 和視協社会見学 
      福祉バスにて潮岬トルコ記念館他 参加者28名
 かなりの長時間におよぶバスツアーであったが、短い時間ながら本州最南端の地のすばらしさを再認識させられる良い機会になった。

 10月6日 和視協福祉学習会 ふれ愛センター3階研修室2 13:30〜 
    「タッチパネル体験会」当会有志 参加者29名
 押し寄せる文明の力スマホ・アイパッドシリーズのタッチパネル式の最新機器がどんなものなのか、はたして全盲者にも扱えるものなのかを検証することを目的に企画されたが、工夫次第では、何とか使えるのではないかという印象を持つ。

 10月20日 和視協60周年記念福祉大会 ふれ愛センター4階大会議室 13:00〜 
      参加者82名
 先人が苦労して発足させた本会60年の歩みの一つの区切りとしての記念大会で、これまでに功績のあった方々に会長自ら一人一人に感謝状が直接手渡されるという心のこもった記念大会になった。

 12月8日 和視協文化研修会 ふれ愛センター4階大会議室 13:30〜 
      @文芸大会参加作品発表と表彰 
      A「ジョイントコンサート」
      ティンティン・空上・田畑耕志・濱田賢吾の各氏 参加者数50名
 地元のライブハウスで活躍するアマチュアミュージシャンの方々を招いての少し毛色の変わったジョイントコンサートを満喫する。

 平成26年1月19日 和視協研修会 ふれ愛センター 3階研修室2 13:30〜 
        「和歌山市の福祉について」和歌山市福祉局長:小松孝雄氏
 市の福祉局長から直々に本市の福祉の現状についての話しを聞く。

 2月9日 第2回教養講座 ふれ愛センター3階研修室1 13:30〜
「コーヒーの美味しい入れ方飲み方」  スターバックスジャパン スタッフ
 日頃多くの人が何気なく飲んでいるコーヒーについて、そのより深い味わい方について知識を深める良い機会となった。
     同日 第3回執行部会 同所 15:00〜

 3月9日 第3回理事会 ふれ愛センター3階研修室2 13:30〜
     同日 監査会・執行部会 同所 10:00〜

平成25年度受賞者(敬称略)
 本年度は以下の方々が受賞されました。
 心よりお祝い申し上げます。

 平成25年11月17日 第61回 和歌山市身体障害者連盟福祉大会 
          和歌山市ふれ愛センター
          坂井 勉  和歌山市身体障害者連盟会長表彰
          郡 みず代 同感謝状
 平成25年11月20日 平成25年度和歌山市社会福祉大会 
          和歌山市民会館小ホールにて
          北本 けい 和歌山市長表彰(地区社会福祉功労者表彰)
 平成25年12月4日 和歌山県庁本館4階正庁における表彰式にて
         寺本 津規子 和歌山県知事表彰 
                第11回「紀の国チャレンジド賞 更生援護功労彰
 平成25年12月8日 和歌山市役所14階会議室における表彰式にて
         丸山 孝雄 和歌山市長表彰
               平成25年度和歌山市障害者福祉表彰 自立更生者賞

 平成25年10月20日 和歌山市視覚障害者福祉協会 結成60周年記念福祉大会 
          和歌山市ふれ愛センター
          会長表彰  市川 和郎    北口 豊
                沢田 留司    宮本 克二
                山崎 昇平
          会長感謝状 幸前 勇     郡 みず代
                坂井 勉     坂井 法子
                佐野 磯雄    西中 利明
                能澤 義和    松下 淳二
                宮地 良和    唐門 一馬
         会長特別感謝状
                北山 豊     北山 和代
                谷口 ヒサ子   宮原 俊恵
                加藤 守一    宮本 美明
                山嵜 景生    米崎 道
                國友 典雄
                和歌山グループ声
                点訳グループみちしるべ
                視覚障害者外出支援グループ(レッツ・わかやま)
以上の方々が受賞されました。おめでとうございます。

新入会員(敬称略)
      河西分会 生駒 芳久
      河西分会 松井 三男

退会者
      東和分会 郡 みず代

死亡による退会者
      城東分会 小池 清志
小池さんには長年本会の活動に対し大変ご尽力頂きました。謹んで皆様と共にご冥福をお祈りしたいと思います。

      平成26年3月現在 会員数96名


この他、関連団体の主な行事は以下の通りです。

4月21日 県視協第1回部会委員会 県総福

5月12日 市身連社会見学 梅小路公園・蒸気機関車館 京都市

6月16日 県視協文芸大会 県総福

8月4日 市身連市長杯争奪将棋大会 ふれ愛センター

同日 県視協街頭キャンペーン(無免許・無資格追放活動) 和歌山駅前・市駅前

同日 県視協点字講習会 県総福

8月30日 和歌山市福祉対策協議会 ふれ愛センター

9月15日 県福祉大会(下津町市民センター)

10月27日 県視協研修会 ふれ愛センター AED体験会

11月17日  市身連福祉大会・第1回教育講座 ふれ愛センター

 2月16日 市身連第2回教育講座 関西空港・神戸市

2月23日 県視協第2回部会委員会 県総福

 以上が、平成25年度に行われた主な行事です。
 来年度も、皆様方のご参加、ご協力をよろしくお願い申し上げます。



  平成25年度和視協女性部行事報告
部長  坂井 法子

この1年、会員の皆様を初め、各方面の皆様方のご協力により、多数の行事を行うことができました。 まず、深くお礼申し上げます。
 以下、順を追ってご紹介いたします。

4月14日 県視協女性部総会・交流会 田辺市民総合センター 12名参加

5月26日 女性部さをり織体験教室 はあと つう はんど 13:00〜 5名参加

6月16日 和視協女性部 童謡を歌う会 海南市保健福祉センター 5名参加

7月21日 和視協女性部 体操教室 ふれ愛センター 4階大会議室 講師
 松本稔代氏他 18名参加

9月 1日(日) 和視協女性部解説付き映画鑑賞会 場所 ふれ愛センター2階 視聴
覚室 「東京家族」 20名参加

11月17日(日) 第42回県視協盲女性家庭生活訓練事業 田辺市市民総合センター 料理教室(クッキー作り) 18名参加

12月15日 和視協女性部 料理教室 椎茸とカニかまぼこのピラフ他 18名参加 講師 鯨徳代氏

平成26年2月2日 和視協女性部 料理教室 イチゴ大福作りと電子レンジの便利な活用法ふれ愛センター調理実習室  講師 鯨徳代師 20名参加

3月2日 和視協女性部 平成26年度和視協女性部総会・講習会(ラフターヨガ 講師 藤島寿子氏) ふれ愛センター 3階研修室2

 26年度も一人でも多くの方に参加して頂けるような楽しい企画を考えて行きたいと思いますので、ますますのご協力よろしくお願いします。


 和視協結成60周年を迎えて

会長  畠中 常男

 今年度は、和歌山市視覚障害者福祉協会、結成60周年の年でありました。
 昭和28年といえば、私自身もまだ3歳。 当然のことではありますが、全く記憶にもない遠い時代です。
 その戦後間もない時期に、当時の市内在住の視覚に障害のある諸先輩方が集い、相互扶助と親睦・更生と社会復帰を目的に、和歌山県盲人協会から独立し、和歌山市盲人協会として発足したと聞いております。
 結成時、役員を務められた方々のお名前を、和視協のホームページから引用しますと、金成甚五郎氏、藤井忠三郎氏、嶋田梅子氏とあります。 当時は戦後の混乱期もやや収まってきたとはいえ、障害者福祉もまだまだ黎明期であり、障害者はもとより健常者においても暮らしの維持に汲々とする毎日であったとのことでありますので、たいへんなご苦労の中、視覚障害者の窮状を改善するため、ずいぶんなご苦労をなさったのではないかと拝察いたします。
 以来、多くの先輩のたゆまぬ努力と、行政や関連団体、関係各方面の方々からのご理解とご支援もあり、ここにめでたく結成60周年の年を迎えることができました。
 こういった経緯を踏まえ、会員及びその家族、また、関連団体や行政の方々等、視覚障害者の福祉に関わる多くの関係者を結集して、去る平成25年10月20日に、結成60周年記念福祉大会を開催いたしました。
 大会では、和視協が歩んできた、活動の成果を振り返りつつ、永年に渡り功労のあった方々に対する感謝と顕彰を行うとともに、未来に向けて今後一層の団結を強化し、福祉の増進に向けて、総力を結集して努力することを誓い合いました。
 今号では、この結成60周年記念式典の意義と実施状況を、将来への記録として伝えることを目的に、大会資料を編集し掲載いたします。



和歌山市視覚障害者福祉協会
結成60周年記念福祉大会
 〜 完全参加と平等 〜

日時  平成25年10月20日(日)
         13:00〜16:00
場所  和歌山市ふれ愛センター 4階大会議室
       和歌山市木広町5-1-9 
       TEL 073(433)8866

主催:和歌山市視覚障害者福祉協会
後援:和歌山市・和歌山市社会福祉協議会・和歌山県視覚障害者福祉協会・和歌山市身体障害者連盟

 〔大会スローガン〕 無くそうバリア・繋ごう手と手・みんな一つの輪になって



ごあいさつ

会長  畠中 常男

 本日ここに、多くの会員と関係者が集い、また、大橋市長をはじめ、ご来賓の皆様をお迎えして、和歌山市視覚障害者福祉協会結成60周年記念福祉大会を開催できますことは、会員一同にとって、たいへん大きな慶びでございます。

 当会は、今から60年前であります昭和28年に、会員相互の親睦と視覚障害者の社会的地位の向上、自立した社会の一員となることを目的に、和歌山市盲人協会として結成されました。
 以来、多くの先輩諸氏のご努力と、関係各方面のご理解とご支援を仰ぎつつ、本日めでたくこの日を迎えることができました。

 私はかねてより、視覚障害は、情報障害であると考えております。
人は、視覚を失うことにより、得られる情報の8割を失うと言われております。
 近年、情報機器や福祉機器の発展と、福祉施策の拡充により、改善がなされてきたとは言え、悩みの本質は60年前と変わりはありません。

 私ども会員一同は、この記念すべき日に当たり、次の10年の目標として、以下の5項目を掲げ、活動してまいります。

 一、 自由に行動し自由に移動する権利を獲得する。
 一、 自由に職業を選択し皆が就労する権利を獲得する。
 一、 健常者との情報格差を解消する。
 一、 経済的自立と完全な社会参加を目指す。
 一、 独立した責任ある個人として地域社会において信頼される地位を目指す。

 会員の皆さん、視覚障害者にとって暮らしやすい明日の社会をめざし、一致団結してがんばりましょう。
 最後に、本日ご来臨下さったご来賓の皆様、今後とも私ども和歌山市視覚障害者福祉協会を、どうぞ宜しくお願い申し上げます。



大会次第

受付  12:30〜
司会  グル-プ声  山田 一恵   


第一部 式典  13:00〜

  1.開会宣言           副会長  北口 豊

  2.会歌斉唱

  3.物故会員へ黙祷

  4.会長挨拶           会 長  畠中 常男

  5.表彰状並びに感謝状授与

  6.受賞者代表謝辞             受賞者代表  宮本 克二

  7.ご来賓のご祝辞とご紹介及び祝電の披露

  8.大会宣言及び大会決議採択
    大会宣言案提案者            坂井 法子
    大会決議案提案者            寺本 津規子

  9.第1部式典 閉会挨拶      副会長  幸前 勇


第二部 記念講演 14:20〜

  演 題:「よりバリアフリーな社会を目指して」
  講 師:毎日新聞社点字毎日 記者 佐木 理人(さきあやと)氏

  閉会挨拶            役 員   坂井 勉

閉会  16:00



来賓者御芳名

和歌山市長  大橋 建一様
和歌山市議会議長  山田 好雄様(代理出席 副議長:古川 祐典様)
和歌山市社会福祉協議会 会長  津田  幸様
和歌山県視覚障害者福祉協会 会長  渋田 年男様
和歌山市身体障害者連盟 会長  畠中 常男  
和歌山市肢体障害者協会 会長  阪本  勇様
和歌山市聴覚障害者協会 会長  馬場 正義様
和歌山市福祉局 局長  小松 孝雄様
和歌山市社会福祉部 部長  南  秀紀様
和歌山市障害者支援課 課長  川ア 秀行様(当日、ご病気により欠席)



功労賞授賞者名簿(敬称略)

会長表彰  5名
 通算20年以上、本協会役員を務める現職であって、協会の発展と視覚障害者福祉に顕著な功績のあった方々。
市川 和郎   北口 豊   澤田 留司   宮本 克二   山崎 昇平


   会長感謝状  10名
   現在当協会の役員を勤め、協会の発展と視覚障害者福祉に功績のあった方々。
唐門 一馬   幸前 勇   郡 みず代   坂井 勉   坂井 法子
佐野 磯雄   西中 利明   能澤 義和   松下 淳二   宮地 良和


   会長特別感謝状  個人 9名、団体3団体
   永年にわたり、協会の発展と、視覚障害者福祉に顕著な功績のあった方々(個人)と団体。
北山 豊   米崎 道   國友 典雄   谷口 ヒサ子
宮原 俊恵   加藤 守一   北山 和代   宮本 美明
山嵜 景生
和歌山グループ声   点訳グループみちしるべ
視覚障害者外出支援グループ(レッツ・わかやま)



大会宣言(満場一致にて可決)

提案者  坂井 法子

 本日ここに、ご来賓の方々をお迎えし、会員及びその家族が結集して、和歌山市視覚障害者福祉協会結成60周年記念福祉大会を盛大に開催することができました。
 開催にあたり、物心両面においてご支援・ご協力を賜りました和歌山市をはじめ、関係各方面の方々、及び先輩諸兄に対しまして、深く御礼申し上げます。
 私たち和歌山市視覚障害者福祉協会は、視覚障害者の相互扶助と親睦・自立更生を目的として昭和28年に発足し「視覚障害者が暮らしやすい社会」の実現に向けて日々努力を重ねてまいりました。
 しかしながらその道のりはたいへん険しいものであったと、多くの先輩より伺っております。
 日本国憲法には全ての国民に生きる権利、社会福祉・社会保障を受ける権利、働く権利があると明記されていますが、現在、社会の構造が健常者を基準とした仕組みになっているため、町の構造や制度の中に視覚障害者自身の努力では解決しえない多くのバリアが存在します。また本年4月より障害者総合支援法が施行されましたが、障害福祉サービス利用料の原則無料化が見送られた他、私たちにとって不可欠な同行援護サービスの充実、入院時のホームヘルプサービスの適用、また障害程度区分決定において視覚障害者が不利益を生じないような改正等の多くの課題が残されています。
 私たち和歌山市視覚障害者福祉協会会員一同は、結成60周年を祝うこの意義深い集を機に、以下を未来に向けての目標と掲げ、活動いたしてまいります。

 一、 自由に行動し自由に移動する権利を獲得する。
 一、 自由に職業を選択し皆が就労する権利を獲得する。
 一、 健常者との情報格差を解消し自由に情報に接する機会を獲得する。
 一、 完全な経済的自立と社会参加を目指す。
 一、 独立した責任ある個人として地域社会において信頼される地位を目指す。

 以上ここに宣言いたします。

                   平成25年10月20日
                   和歌山市視覚障害者福祉協会
                   結成60周年記念福祉大会



大会決議(満場一致にて可決)

提案者  寺本 津規子
 結成60周年を記念する、この意義深い大会に参加した会員一同は、明日の福祉向上に向けて、以下決議いたします。

 一、 大規模災害時に障害者が安心できる避難態勢を
 近い将来、南海トラフを震源とする大震災が心配されています。災害時には障害者が安全に避難できるよう、迅速な誘導や情報提供の手段を講じてください。また、視覚障害者が安心して生活できる避難所の整備と充実を図ってください。
 一、 同行援護サービスをもっと利用しやすいものに
 同行援護サービスにおいて、公共交通機関だけでなく、ヘルパー等が所有する、自家用車の利用もできるようにしてください。また、ガイドヘルパーの技術向上のための講習会を定期的に実施する等、ガイドヘルパーの充実を図ってください。
 一、 視覚障碍者の外出を支援するため、福祉タクシー券の充実を
 視覚障害者の外出支援を推進するため、現在発行されている福祉タクシー券の枚数を増やしてください。また、県内であればどこでも利用できるようなタクシー券利用の共通化を進めてください。
 一、 視覚障害者がもっと歩きやすい街づくりを
 点字ブロックや横断歩道のエスコートゾーンは視覚障害者が安全に歩行するために設けられています。歩道や駅などに敷設されている点字ブロックの上には車は勿論、物や自転車を放置しないようにしてください。また車いすや白い杖を見かけたときは、気軽に声をかけるなど、誰もが安心して歩ける街、障害者と健常者が共生できる街づくりを目指しましょう。
 一、 視覚障碍者雇用の充実を
 障害者雇用の充実が求められていますが、視覚障害者の雇用率はまだまだ低いのが現状です。視覚障害者の就労率を上げるような施策を薦めてください。就労に向けての情報の提供・公共機関における視覚障害者の雇用を率先して行うよう働きかけるなど具体的な方策を要望します。
 一、 違法なあはき業者をなくす取り組みをもっと厳格に
 最近リラクゼーションやボディーケアなどと称して、無資格でマッサージの営業をする業者が増えています。誇大な広告や違法なやり方はマッサージを唯一の生活の糧とする視覚障害者の生計を大きく脅かしています。こうした違法業者を厳しく取り締まってください。

 以上決議いたします。
                   平成25年10月20日
                   和歌山市視覚障害者福祉協会
                   結成60周年記念福祉大会



 記念講演の講師と内容

講師プロフィ-ル

 佐木理人(さきあやと)氏 1973年生まれ。大阪市出身。全盲。95年地下鉄駅ホームでの列車接触。転落事故を機に視覚障害者の歩行の自由と安全を求める活動に取り組む。05年から「点字毎日」勤務。点字校正のかたわら、取材執筆に従事する。


講演の要旨

演題 「よりバリアフリーな社会を目指して」

 視覚障害者は移動と情報入手にバリアがあるといわれています。そうした状況はこれまでどのように変化し、どういった現状にあり、今後どうなっていくのか。過去60年間の「点字毎日」の報道や私のわずかな取材経験を紹介しながら「よりバリアフリーな社会」について皆さんと共に考えてみたいと思います。また「点字毎日」をより身近な存在として感じていただけるような機会にもなればと考えています。


当日のレジュメ

「よりバリアフリーな社会を目指して」
          
2013年10月20日
毎日新聞社 点字毎日
            佐木理人


1. はじめに
 
私は中学時代にほぼ全盲となり、盲学校の高等部で点字の読み書きや白杖歩行の訓練を受け、視覚に障害のある仲間たちとの日々の中で、自身の障害について見つめなおすようになりました。
 1995年の地下鉄駅ホームでの列車接触・転落事故をきっかけに、視覚障害者の歩行の自由と安全を求める活動に取り組み、視覚障害者と社会の関係について、高い関心を持つようにもなりました。  
 最初に、そんな私のこれまでについて少しお話ししたいと思います。
 一方、2005年から私が勤務しているのが、「点字毎日」です。90年以上にわたり発行を続けている週刊の点字新聞について、改めてご紹介します。


2. 移動・情報環境の変遷

 和歌山市視覚障害者福祉協会が誕生した1953年は、点字図書館や点字出版所、盲人厚生施設などで作る日本盲人社会福祉施設協議会が結成された年でもあり、盲人文化の向上や盲人福祉の達成を目指す動きが活発化しました。そんな時代から60年、視覚障害者を取り巻く移動・情報環境は、どのように変化してきたのかについて振り返りたいと思います。


3. 取材を通して

 私は点字校正のかたわら、いくつかの連載を担当し、各地でさまざまな人たちの思いに触れる機会があります。そんなわずかな経験を通して、視覚障害者を取り巻く現状について感じ、考えていることについてお話したいと思います。


4. おわりに

 現代は、ある程度「バリアフリーな社会」といえるでしょう。しかし、そうした現状にとどまらず、さらに1歩進んだ「よりバリアフリーな社会」を実現するには、何が必要なのかについて考えたいと思います。



          和歌山市視覚障害者福祉協会
          結成60周年記念福祉大会
            収支決算の概略

歳入額合計  484807
内訳 @当会負担金 A和歌山市からの補助金 B市社会福祉協議会助成金
C県視覚障害者福祉協会助成金 D市肢体障害者協会・市聴覚障害者協会祝い金
E個人よりの寄付金

歳出額合計  484807
内訳 @報償費・記念品代 A謝礼金等 B会場設営費
C食料費 D会議費 E事務・通信費

差し引き残額  0



和歌山市視覚障害者福祉協会
結成60周年記念福祉大会
大会準備委員名簿

準備委員長  畠中 常男
副準備委員長  北口 豊   幸前 勇
運営担当  坂井 勉   財務担当  能澤 義和
準備委員  市川 和郎   唐門 一馬   郡 みず代   坂井 法子
      佐野 磯雄   澤田 留司   西中 利明   松下 淳二
      宮地 良和   宮本 克二   山崎 昇平

 以上、和視協結成60周年記念式典についてご報告いたしました。開催に当っては、皆様より絶大なるご支援とご協力を賜りました。 どうもありがとうございました。




 ニューフェースのご紹介

インタビューと文  北口 豊

 本会は、平成26年2月末現在、96名の会員が入会されております。ご多分に漏れず若い人の組織離れと会員の高齢化によりだんだんと減少する一方です。しかし、新しく入会された方も何人かおいでです。そのなかから25年度に入会された二人の方に先日電話インタギューをさせて頂きました。
 視覚障害者は私も含め、案外初対面の人とのコミュニケーションの下手な人が多いように思います。とりわけ、誰か知り合いの紹介で入会してくれた方はともかく、誰も知り合いのない状況で本会の存在を伝え聞いて思い切って入会を決断された方々には特に入って良かったと思ってもらえるように会員相互の横の繋がりを密にし、お互い通しが理解し合える和視協にして行けたらと、今回も前号に引き続きご本人の了解を得て自己紹介のコーナーを作ってみました。諸先輩方、新しく仲間に入ってくれた方とも仲良くして頂きたく思います。また、仲間に入ってくれた方、我々は隣に座っている方が誰であるかは話しをしてみて初めてわかるもの、その最初の一言が大事です。思い切って声をかけてみてくださいね。次号からもこのコーナーが続けられるよう新しい入会者のいることを切望しています。


 松井三男さん
 子供の頃から夜盲症があったけれど、中学までは生まれ育った日高郡由良町の地元の学校に通う。中学卒業後県立盲学校に入学し、学生時代はグランドソフトボール(旧盲人野球)などで活躍する。昭和60年に卒業後、自宅の市内六十谷で三療業を開業している。 阪神大震災の頃まではなんとか一人歩きもできていたが徐々に視力が低下し、好きだったパチンコにも一人で行けなくなり、ここ15年ほどは家に閉じこもりがちの毎日を過ごしていた。そんな時、学生時代からの知人から本会の存在を教えられて少しでも今までの生活に変化ができたらと思い切って入会させてもらった。これと言った趣味も無くシーズンになればひいきのジャイアンツ(特に長野・坂本のファン)を応援するくらいが唯一の楽しみという。今後はヘルパーさんとも契約して少しずつ会の行事にも参加できるようにして行きたいとはにかむ。
  プロフィール:市内六十谷でお母さんとお姉さん家族と同居。身長172センチ、80キロ、昭和35年生まれの53歳。河西分会所属。


生駒芳久さん
 目の異常に気付いたのは青春まっただ中の大学1年(19歳)の時、不安な面持ちで眼科を受診して医師から「網膜色素変性症です」という決定的な通告をされる。しかし、今から思えば子供の頃からその徴候があったようだ。
 とはいえ、まだまだ普通の生活にはあまり不自由を感じていなかったためそのまま同大学の電気工学部を卒業して魚群探知機を製造する会社に就職する。その後、転職して和歌山市役所に勤務。2年間在籍する内に少しずつ視力の低下を感じるようになり、盲学校で鍼灸の資格をとるしかないと考え県立和歌山盲学校に入学したのが28歳だった。
 その後、盲学校に通いながら専行科2年の3学期に受験した和医大にすんなり合格。そのまま同医大に転校して医師免許を取得し、2年間の研修期間を経て旧五稜病院(現在のこころの医療センター)に就職して27年が過ぎようとしている。その間、平成13年にはそれまで医師法や薬剤師法・看護師法で免許の欠格事項とされていた視覚障害・聴覚障害の項が撤廃され、立派に医師としてまた副院長として現在も活躍されている。
 本会に入会したのは盲学校時代の同級生の勧めもあったし、数年前には全盲になったこともあり、自分としても盲人に成りきれたという妙な自信みたいな開き直りみたいなものができたからだと笑う。
 また、こうなればとことん盲人になってやろうと思い直し、半年ほど前から点字にも強い興味を感じ、自己流で点字を勉強し始め、ゆっくりながらもなんとか触読できるようになり、本会の点字の資料なども無性に読みたいという衝動にかられ「よし読んでやるぞ」とファイトが湧いてきて…。そのやる気に火を付けたのは年末にサピエからダウンロードした「永遠の0」を2ヶ月かけて読破したことだと胸を張る。他に、囲碁にも興味が出て来てふれ愛センターでの知人との対局を楽しみにしているという。今の自分があるのは2年間在籍した盲学校時代があるからに他ならないと声を大にして言いたいですねと真剣に話す人柄にはあらためて頭の下がる思いです。
 プロフィール:身長165センチ、73キロ、昭和24年生まれの今年65歳、全盲。
市内秋月在住、奥さんと3人の子供さんのお父さん。河西分会所属。JRPS和歌山支部役員も歴任。



 あがらの広場
ここからは会員の方々から寄せられたエッセーの紹介です。何時も編集者の無理を聞いて頂いているおなじみの方々からです。次号は新しい顔の方からの作品も加えられたらと思います。


  「親切」について思うこと

河北分会 南部照明

 今年の2月の和視協川柳愛好会「ドングリ」の兼題は「親切」でしたが人は親切にされて必ずしも嬉しいことばかりとは限らない。「小さな親切大きなお世話」という言葉があるように煩わしいこともある。
 私はビールをほんの少し飲みます。。たとえば、カラオケ喫茶に行くと誰かがそのビールを私のグラスについでくれることがよくありますが、それが、まだビールがグラスに残っているのにその上についで足したり(これが嫌いなんです)、グラスを真横にしてやるとほとんど泡が無くこれまた美味しくない。私の考えでは瓶ビールはジョッキに2杯半在るのに2杯で無くなってしまうことがある。そうかと思うと、グラスを全然傾けずについでもらうと今度は泡がものすごく多くなりこれまた美味しくない。ついでくれた人も恐縮して「泡ばっかりになってすみません」って言ってくれますがすかさずそこで私は「阿波の徳島生まれだから大丈夫」とワンパターンのダジャレで応じています。まだ自分が見えていた頃は隣の人が瓶を持ったらグラスを取ってほんの少し傾けて注いでもらったものです。一番困るのは、1時間1本のペースで配分して3時間保たせようとしているのに少しでもグラスの中が減ると直ぐつぎ足すのでうっかり飲むこともできずこんなことがありがた迷惑なのです。
 全然違う話ですが、この時季になると私はカラオケで灰田克彦の「新雪」をよく歌います。私は歌いたい曲目を前もってパソコンで書き出して持参し、マスターにそれを見せて入力してもらうことにしているのですが、この「新雪」を注文しようとしたとき、新しい雪で間違いじゃないのですが、パソコンで書き出そうとしたら漢字変換の中に「しん」が「深い」というのがあって、迷ってしまってマスターに確かめたことがありました。
 話しは横道に反れましたが本当に親切にされると嬉しいもので、電車に乗り降りするときなど自然に肘をもってくれたりすると反射的に「ありがとう」の一言が出るものです。こんな心から感謝できる「親切」が沢山増える世の中になって欲しいものだと常々思う次第です。


  △  梅の香に誘われて

東和分会 丸山 孝雄

 2月の中ごろ、パソコンで岩城梅林が満開に近づいたとの記事を目にして観梅に行くことにしました。和歌山駅発9時45分発御坊行き普通列車に乗るために、9時過ぎにヘルパーさんと家を出ました。天気は良いですが北風が強く最高気温予想は8度とか、  ちょい旅でも、駅弁やおやつを買って車内へ。御坊で列車を乗り換え田辺行きに、早めの昼食を車内で取、いよいよ岩城駅に、ワンマン電車で降りるおりにキップを手渡しするのですが、車掌に梅林は近いかと聞くと、こまったようで山の上なので遠いと言われました。
 いよいよ駅を11時半に出て駅前で観梅の梅娘が出迎えてくれるかと楽しみにしていましたが駅前はひっそり、案内もないとのこと国道に出ると大きなのぼりが立っているとのことで安心しました。ずいぶん歩いても梅林は見えないとのこと、田園風景は農家の庭は広く寒椿が咲いているとか、横を観光バスや乗用車がどんどん追い抜いて行きます。1時間10分ほど歩いてやっとなんとも言えない良い香が出迎えてくれました。見渡すかぎり梅林のようで、楽しみながら歩いて行くと盆地になっている所がメイン会場でした。色々なお店があり、鰯の丸干しを炭で焼いているのやお餅を食べたりして、また盆地のため風も無く暖かく、他府県ナンバーの車も多く、空の美しさ満開の梅林を散策や写真のシャッターの音がして皆さんも感動しているようです
 ヘルパーさんは周囲の雄大な景色や梅林の梅の花の多さや、枝をたわめて香りを楽しませてくれました。私に取っても有意義な一日でした。

 お土産にデコポンや草餅を買って帰路に。14時27分の電車に乗り和歌山駅には16時過ぎに着きました。万歩計は17133歩、12.1キロ、507キロカロリーでした

梅林や香りとどいて熊野灘



    十人十色、私の独り言

藁しべ長者

 人間60年も生きてくるとけっこう面白い話しも聞こえてくる。最近のニュースで女として産まれてきてそれを受け入れられず男として生きようと考え、ある女性と結婚して第3者の男性の精子をもらって奥さんが産んだ子供を実子と認めよとして裁判で勝ち取った人がいた。このような真の性と違う精神状態を「性同一性障害」というらしい。
 昔から男性が女性の格好をして特に風俗関係を生業にしている人達のいることは知っていた。また、最近は彼ら(彼女らとするべきか)は、風俗関係だけじゃなくタレントなど芸能関連の職場にも多く侵出してきているようで、個人的にはそれがどうも承伏できない。他人のことだからどうでも良いことだが、男性が女性の格好をして(中には手術をしてまで外見上完全に女性になっている人もいるとか)は、精神的な場合もあるかも知れないがそうした方が良い収入を得られるからそうしているように思えてならないのは私の偏見でしょうか。
 これに対し、先に挙げたような女性が男性になっている場合は少し違うのかも知れない。収入面から言えば女性が男性になって生活が豊かになるようなことはあまり考えられないからだ。そして、私がひっかかるのは「性同一障害」と性が身体と同じでは無いというのが「障害」という考え方だ。
 こんな人もいましたよね。女性に産まれ男性になりたくて名前も男名前に変えてボクシングの世界に飛び込み世界に挑戦しているという人。ただ、ちょっと気になるのは何故女性の部門なのかということです。以前競艇選手の中に男性登録をして男としてレースに出ていた人がおりましたがそれなら分かるのです。この病状?は、突き詰めれば遺伝学的に受精卵の段階から食い違って生長した結果生じる現象だと聞いたことがありますが、どうもそれを受け入れようとせず自分の考えで「障害者」になってるように思えてならないのだ。我々のような障害者は少なくても自分が望んで「障害者」になったものなどまずいないと思うのです。でも、障害者の多くはその障害を受け入れてたくましく生活しているのです。身体と精神が違うというのはやっぱり「障害」なのでしょうか?私達は目が見えないけれど周りの人達に「私は晴眼者だ」と認めてくれと言っているように思えるのは極論でしょうか。

 日本のプロ野球選手の中に少し実績が上がればアメリカへ行きたいという風潮が見受けられる。やはり野球の一流はアメリカなのだろうか? 野球だけにとどまらずサッカーやゴルフ・フィギュアスケート・芸術家やデザイナーなどでも海外へ出て修行するのが普通の時代だ。確かによりすばらしい技術を習得したり自分の力を試したいというのは分からなくは無いけれど、一部のプロ野球の選手のように昔の武道の「道場破り」みたいな目的で行くのならどうかと思うのはこれまた私の偏見だろうか? 外国で収得した技術を日本に持ち帰って生かすのなら出て行く意味があるかも知れないけれど、大リーグへ行って結果が出ずに日本球界に戻った人がどれだけその成果を日本で生かしているだろう。今回も騒がれた田中将大もそうならないことを願う。

最後に手前味噌だが、最近少し川柳の面白さやその神髄の一端が分かってきたように思うので私なりにその蘊蓄を述べてみたい。興味の無い人は自由にスルーしてください。
 川柳と言うと、おもしろおかしく笑い飛ばして聞き流すようなものを想像される場合が多いけれど、確かにそんな意味合い(ユーモア)のものも川柳のもつ味わいの一つであることは事実だが、たった17音字(17文字では無く声に出して読んだときに17音になること)の中に人間の生き方や人の道を説くような教訓のようなもの、何かを人間に喩えて表現するなどその奥深さを味わえるものも多くある
 本会の川柳愛好会「ドングリ」の講師をお願いしている三宅先生の常に話されることで「川柳は人間を詠むもの」で、難しく作る必要が無く、説明しなくても誰でも「ああ、なるほどね」と分かる句を作りなさいと言われますが、ちょっと上達すると難しいことわざや4字熟語を引用したくなるもので、そうなると上から目線で「これはこうこうこういう意味なんよ」とつい弁舌をぶってしまうことになる。と、えらそうなことを言いながら私の拙句をいくつか紹介してその弁舌をぶってみたい。

降参が切り札になる時を待つ
「降参」とは辞書には、戦いに負けて反抗しないことを敵に誓うこととある。ということで、たとえば夫婦喧嘩などで悪口雑言をぶちまけあったり皿や茶碗が飛び交ったりということを避け、平身低頭して謝罪しそれが相手に譲歩させる手立てになる戦法でそれが最終的には勝つための切り札になるのでその時期が来るのをじっと耐えて待つ方が賢明だということを言いたいのです。でも、実際はそうは上手くことが運ばないものですよね。

人は愚者賢者にもなる石を持つ
これは、他人とのつき合い方で阿呆になったり賢く振る舞ったりするための処世術のことで、そうする意識のことを誰もが心の中にある石に喩えたものです。

青虫は蝶に成る日を知っている
青虫や見にくい毛虫は人間からは毛嫌いされる対象だが、当の青虫はやがて奇麗な蝶になって毛嫌いした人間どもを見返してやろうとその辛い時期をじっと我慢して耐えている。この「青虫」は不遇?な人間を指しています。

象は鼻高く差し上げ読む空気
賢い動物の一つと言われる象は自分の立場や立ち位置・周りとの関係(空気)を常に鼻を高く伸ばして読んでいる。すなわち賢い人間はそうしているものだということです。

送りバンド決めて静かに出す辞表
これは、サラリーマン社会などで自分が犠牲になって後進に成果を託し、自分の働きは評価せず静かに身を引く処世術のことを「送りバンド」という野球用語に置き換えて表現してみたものです。

高く跳ぶには膝深く曲げること
「高く跳ぶ」とは、一流の学校に入るとか会社や組織で出世するとかということ。「膝を深く曲げる」ということは、それなりにしっかり勉強し、そのための研究を怠らないということです。

というようなことで、川柳の作句のテクニックの一つに何かを人に置き換える「擬人法」、比較的ジャンルのかけ離れた事物に喩える「譬喩」的表現をする。また、「氷が融けたら水になる」という当たり前な考えをもう少し突っ込んで「氷が融けたら春になる」といった捻りが大事です。また、それをいわゆる何々とかけて何と解くという「謎かけ」的な発想が良い句になるのではと私なりに考えます。普通川柳には課題や兼題と言われる一つの言葉(テーマのようなもの)が与えられそれに関係ある内容のものを作るというのが多く、必ずしもその与えられた言葉を使わなくてもよくて、句の意味がその題に当てはまっていれば良いとされます。作句の最初は題に関連する事象の発想なんです。どんなことについて作ろうか、発想が浮かべばどんな言葉を使って17音字の味わい深い句に仕上げるかということです。そう、料理のことは分かりませんがどんな素材を選ぶか、どんな風に下ごしらえをするか、最終的にカレーにするかシチューにするかに決めたら、スパイスの量や肉の大きさ・野菜の切り方等々考えて美味しい料理になるか2度と食べたくないものになるかといった感じでしょうか。
 日々の生活の中で句の材料になることはたくさんあるもので、一つの句を読んで「あるあるそんなこと」と思えるような句、上記のように講釈を垂れなくても誰もに直ぐ分かりなおかつ深い意味のある句を作れたらと思っています。

 最後まで私の独り言にお付き合いしてくれてどうもありがとうございました。



  点字と私             

尾家 章夫

 コツコツコツ、前に陣取った小・中学生達の点字の打刻音がリズミカルに響く中、後ろの席では52歳の高校生が点字板に向かい、おぼつかない手で打刻に夢中である。
「止めえ〜」、の合図。「ああ、こりゃぁ〜ダメだ!」、とため息にも似た声が洩れる。
52歳の中途障害者では頭も身体も錆び付いていて、思うように手が動かない。当時盲学校では学期末には点字競技会が行われていて、点字をかじりかけの私達も参加していた。
 盲学校へ導かれた際、教育相談の先生から、「家でラジオばっかり聞く人生でいいのですか?」。といわれたことが頭にこびりついていて、入学後は点字や白杖での歩行訓練にも積極的に参加することにした。しかし、50歳を過ぎてからの学業は並大抵のことではなく、国語や数学などの基礎学科や専門科目などの学習に追われ、
点字を学ぶ余裕などなかった。しかし、将来のことを考えるとじっとしておられない気持ちであった。これまでの先輩の中にも視力に頼って学習を続けてきたが、国家試験当日になって、急に見えなくなった。という例もあるそうだ。自分の場合だと3年後にはあん摩、さらに鍼灸の資格となると6年後に受験することになり、それまで視力が持つだろうかという不安が常に頭をよぎる。とにかく少しでも点字を読めるようになりたい、との想いから暇をみつけては点字のブツブツに触っていた。校内の点字競技会にも、へこたれずに毎回参加した。6年後の最終回では速読みで1分間に80文字ほど読めるようになった。「中途障害者で、あなたの年齢でこれくらい読めたらたいしたものですよ!」。といわれたが、これも卒業のはなむけの言葉としてありがたく受け止めた。
 2000年・春、無事に卒業。視力も左目が僅かに残っていて、国家試験も墨字の拡大文字で受験できた。ただ、その頃、国を挙げてのITの普及を図っているときで、視覚障害者についても情報バリアフリー対策事業の一環としてパソコンなどの機器に関する講習会が行われ、私も遅れてはならじと参加した。それによりインターネットでの情報の取得やメールの交信なども可能になり、一遍に世界が広がった。
 パソコンの音声読み上げソフトの開発は盲人でも墨字の文章の作成が可能になり、健常者と同じように仕事ができるようになったという。点字に頼らなくても済む時代が来たのだ。点字などもう必要ないのか。などと、ふと頭をかすめた。盲学校に入学後、懸命に点字を読めるようになりたい、と努力してきたのはなんだったのか、
と言いようのない脱力感を覚えたこともあった。
数年前、点字を考案したルイ・ブライユ生誕200年、日本語版を考案した石川倉治生誕150年を記念して点字に関する和視協の講演会や万博公園の民俗学博物館での点字展覧会ヲ見学する機会を得た。 それによると、点字が考案されるまでは、かな文字を木版や粘土で凹凸文字を作り、手で触れて学んだり、掌や背中に文字を書いてもらい、文字の形を覚えたという。昔から読み書きそろばんといわれるように、学問は書物を読むことから始まる、と言うことだろうか。しかし視覚障害者に文字を覚えさせても凹凸文字の木版や陶版などの教材を作るとなると、決して容易なことではなかったと思うが、健常者と同じように文字を習いたい、という視覚障害者の執念と、それに応えたいという当時の教育者の気概が伝わる。
我々の先輩達は昔から、はり、きゅう、あん摩を天職としてきたが、点字がなかった頃は知識や技能の伝承は、専ら口頭に頼ってきたものだろう。点字は触る文化の象徴といわれるが、触ることで知識や技能を高め、それを触る文字の点字で後世につたえる。誰の手も煩わせることなく、視覚障害者自身で完結できる。本当に画期的なことであッタニ違いない。このように先人たちの苦心の末に取得した点字だが、近年、ITの発達によって情報の取得や発信が容易になり、点字の使用者も減少しているという。
先日も生駒市の福祉センターで点訳ボランティアをしている知人から、点字書を読む人が居なくて、点訳の活動を縮小しようか、と仲間と話しているとのことを言ってきた。そして、パソコンでの音声による読書を勧められた。
自分も既に音訳読書を利用しているが、せっかく憶えてた点字だから点字書を読むのは続けたい、とは言ったのだが・・・。
技術革新により、旧いものは過去のものとして追いやられるのは常であるが、コンパクトディスクの出現によってその座を追われたレコードとは訳が違う、このまま衰退させていいものか・・・。
タダ、、点字も記録や伝達の一つの手段トシテトラエレバ、必要とする者が少なくなった、ト言うか、あるいは点字以外の選択肢が増えたことは喜ぶべきことかも知れない。シカシ、先人たちの苦労を思えば、あまりにももったいないような気がする。
一昨年、私も目の症状が急に悪化し、それまで拡大読書器で文字の読み書きが可能だったが、これもできなくなり、厳しい状況に追込まれた。しかし、その時もそれほどの気持ちの落ちこみは感じなかった。いずれはこういうときが来るだろう、という覚悟があったことと、わずかながらでも点字ができるという気持ちの余裕があったからだと考える。
その後はますます点字が必要になる生活となったが、自分なりの点字力で仕事や読書などに取り組んでいる。現在でも点字もITも初心者の域をでないが、それなりに残された人生を楽しみたいものです。




    △文芸の広場
 本会には俳句を楽しむ「若竹」と川柳で頑張っている「ドングリ」の二つのサークルがあり、14名の人達が句作で脳トレをしています。
 以下に25年度中に選者の渡辺(俳句)・三宅(川柳)のお二人の先生から好評価を頂いたサークル員の句を紹介します。皆さんも文芸部に入って一緒に脳の活性化にチャレンジしてみませんか。
 括弧内は作者と兼題です。

       「若竹」(俳句)     
  選者 渡辺町子先生

冬うらら社殿に立ちて鈴を振る (市川和郎 早春)

手かざした火鉢昭和の忘れ物(北口豊 早春)

早春や窓注す陽射し輝けり(北山和代 早春)

受験子の笑顔伝わる電話かな(河野敦美 早春)

立春に立てたる卵総立ちに(松本薫 早春)

日足伸び土を振るいて庭仕事(丸山孝雄 早春)

神前に柏手響く初詣(宮地良和 早春)

点字打つ背にほのぼのと春夕日(宮原俊恵 早春)

ひょっとこの顔で回すや風車(北口豊 風車)

沈丁花家の中まで匂ひくる(吐前敦子)

屋台店風をひろってかざぐるま(丸山孝雄 風車)

赤ちゃんをあやしふーふー風車(宮地良和 風車)

傘に入り肩濡れ合ひて春の雨(宮原俊恵)

山寺の筍飯と湯葉の味(市川和郎)

風鈴も買えず隣家の軒に聴く(北口豊 風鈴)

お土産に友が風鈴持ちくるる(河野敦美 風鈴)

風鈴に耳を預けて点字読む(吐前敦子 風鈴)

風鈴や幼なじみの友思ふ(松本薫 風鈴)

シルバーカー先へ後へと夏燕(丸山孝雄)

留守の家風鈴だけが鳴っている(米崎道 風鈴)

梅雨明し沖縄の忌や海静か(市川和郎)

天窓の隅に小さき遠花火(北口豊 花火)

塩飴をポッケに入れて夏の山(丸山孝雄)

灯台を包む花火と波しぶき(宮地良和 花火)

ベランダで補聴器に聴く上げ花火(宮原俊恵 花火)

幼子の拳の中に木の実かな(市川和郎 木の実)

どんぐりに目鼻を描けばしゃべりそう(北口豊  木の実)

過疎の村木の実の落ちる音がする(河野敦美 木の実)

湯豆腐や家族揃うて円き膳 (市川和郎 湯豆腐)

湯豆腐を囲む笑顔が一つ増え(北口豊 湯豆腐)

賛美歌のピアノ独奏クリスマス(吐前敦子)



     川柳の部(ドングリ)
選者 三宅 保州先生

初夢に無き両親の声を聴く(河野敦美 夢)

初詣昨夜(ゆうべ)見た夢連れて行く(北山一歩 夢)

難病も治せる夢の治療術(松本薫 夢)

ご馳走が並んだとこで夢が覚め(北山和代 夢)

夢ならばさめずにいてと思う夢(畠中志津子 夢)

iPS眼科オペ室に入る夢(丸山孝雄 夢)

良いとこで起こされ夢よもう一度(南部照明 夢)

夢一つ抱いて都へ出たものの(北口豊 夢)

夢枕のおやじは小言言って消え(尾家章夫 夢)

現実の夢は努力で掴むもの(宮地良和 夢)

春の風幸せを呼ぶ心地良し(河野敦美 風)

北風に身をすくめ行く車椅子(北山和代 風)

春霞偏西風が気にかかる(畠中志津子 風)

北風も糸のおかげで上がる凧(丸山孝雄 風)

木枯らしを春一番が追っ払い(南部照明 風)

風よ風津波不明者探してよ(宮原俊恵 風)

カーテンを換え招いてる春の風(北口豊 風)

春告げる釘煮の香り風に乗り(宮地良和 風) 

自転車の子に北風の平手打ち(北口豊 風)

ランドセル宝のごとく抱きしめる(河野敦美 入学)

とりあえず卒業したがすねかじり(南部照明 卒業)

母子して入学式へ晴れ姿(畠中志津子 入学)

卒業式鬼の教師の目に涙(南部照明 卒業)

うっかりと投資話に乗せられて(河野敦美 嘘)

嘘も混ぜ土産話を盛り上げる(北山豊 嘘)

嘘一つ君の話術の隠し味(畠中志津子 嘘)

褒める嘘夫婦円満潤滑油(丸山孝雄 嘘)

ほら吹きも大道芸じゃ主人公(笹川武司 嘘)

嘘一つ棺に入れてやる情け(北口豊 嘘)

オレオレにもしやと思う親こころ(尾家章夫 嘘)

世の中は嘘と誠の混じり合い(米崎道 嘘)

千三つと1度の嘘であだ名され(宮地良和 嘘)

味見して残った料理ごく僅か(河野敦美 料理)

美味しいと言ったばかりにまたこれか(丸山孝雄 料理)

どこへでもマイ箸持参エコライフ(笹川武司 料理)

目分量料理本にも負けぬ味(南部照明 料理)

グラタンにドヤ顔してる冷や奴(北口豊 料理)

ディナーにも心遣いの箸添えて(尾家章夫 料理)

今が旬母の料理が懐かしい(宮地良和 料理)

稚児の列白馬も落とす糞一つ(松本薫 祭)

百均でお祭り気分大人買い(畠中志津子 祭)

ピーヒャラリ日本列島揺れている(笹川武司 祭)

都会から祭の主役呼び戻し(南部照明 祭)

綿菓子が繋いでくれた赤い糸(北口豊 祭)

氏神の祭りで出会う古き友(宮地良和 祭)

夢でよい世界一周してみたい(河野敦美 世界)

リハビリも世界に誇る施術から(松本薫 世界)

はやぶさが小さい土産世界一(丸山孝雄 世界)

童話読む添い寝のママも夢世界(笹川武司 世界)

災害に世界が一つ援助の手(南部照明 世界)

五本指ソックスで踏む新世界(北口豊 世界)

赤ちゃんの笑顔ママには世界一(尾家章夫 世界)

地球儀を回し旅行の夢語る(宮地良和 世界)



 お楽しみ懸賞クイズ
今回は本号の隅々まで読破しないと解けない問題を集めてみました。さあて、どれだけの皆さんがこの機関誌を読んでくれるかな?答えは本機関誌中に必ず出て来ます。
 全問正解者5名様(正解者多数の場合は6月の点字教室の会場にて抽選の上決定)に豪華景品を差し上げます。奮って解答をお寄せください。

応募先 〒641ー0013 和歌山市内原871ー9 北口豊
eメール owlmail-from-tomtarotan@silver.plala.or.jp
(解答は、お名前、問題番号と答えを明記して、必ず文章にして5月10日(土)までにお寄せください)

問題1 宴会には欠くことのできない飲み物が出てきます。それは何でしょう。

問題2 JR紀勢本線の駅が幾つか出てきますが、二つ以上書いてください。

問題3 本会が発会したのは西暦何年のことでしょう。

問題4 本会初代会長は誰でしょう。

問題5 本会結成60周年記念福祉大会の大会スローガンを書いてください。

問題6 本会結成60周年記念福祉大会の記念講演をしてくれた講師は誰でしょう

問題7 武芸の修行者が他流の道場へ行って試合をし、相手方をすべて打ち負かすことを何と言うでしょう。

問題8 プロ野球選手の名前が出てくるがそれは誰。

問題9 我々視覚障害者が横断歩道を安全に真っ直ぐに渡れるように敷設されているものを何と言うでしょう。

問題10 日本語の点字を考案した人は誰ですか?

問題11 虫や動物の名前が出て来ますが二つ以上上げてください。

問題12 平成26年3月末現在の本会会員数は何人でしょう。



 編集後記
 今回も最後までお読み頂きありがとうございました。いつものことながら「あがらのコーナー」にお寄せ頂く作品集めに苦労しましたが、なんとかそれなりの機関誌に仕上がりました。また、好評の「お楽しみ懸賞クイズ」は、今回すこし趣を変え、より本誌の隅々まで読破しないと解けない問題にさせて頂きました。それは編集者が会員が本誌の保つ意味は言うにおよばず、本会会員相互の横の繋がりをより密にして頂けるよう希望するところから思いついた策です。また、前号に続いて新入会者のインタギューのコーナーも入れさせて頂きました。これも、会員の一人一人がより団結を深められたらというささやかな願いからでもあります。
 最後に本誌作成に当たり、ご協力を賜った皆様方に貴重な紙面をお借りして御礼申し上げて編集後記といたします。



  和歌山市視覚障害者福祉協会機関誌「白い杖」(
通巻第42号)

  発   行   平成26年3月
  発 行 者   和歌山市視覚障害者福祉協会
  編集責任者   畠中 常男
          電話 073-472ー7872
          〒640-8314 和歌山市神前285ー16
          Eメール hatakenaka@jtw.zaq.ne.jp

   編集スタッフ  畠中 常男    北口 豊幸前 勇
           坂井 勉     能澤 義和   




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