白い杖 第47号


和歌山市視覚障害者福祉協会機関誌「白い杖」第47号





ー 目  次 ー

1 巻頭言 会長 畠中 常男 ………………………………………… 1
2 和視協この一年 書記 寺本 津規子…………………………… 2
3 文芸の広場 ………………………………………………………… 7
   俳句 大倉 義正 選 …………………………………………… 7
   川柳 三宅 保州 選 …………………………………………… 9
4 あがらの広場 ………………………………………………………11
   生きていればこその毎日 和歌浦分会 奥野 幸子 …………11
   私の生い立ち 新光分会 笹川 武司 …………………………13
   今日生きる 河北分会 栗本 邦男 ……………………………15
   映画革命 和歌浦分会 亀山 直美 ……………………………15
   街のあん摩さん 東和分会 北山 和代 ………………………17
   指についての一考察 和歌浦分会 北口 豊 …………………20
5 お楽しみ懸賞クイズ ……………………………………………… 26
6 編集後記 …………………………………………………………… 29

   和歌山市視覚障害者福祉協会 平成31年 3月発行
   〒640-8314 和歌山市神前285-16  電話073-472-7872
   ホームページ・アドレス http://washikyo.org/


《巻 頭 言》

会長  畠中 常男

 昭和に続き、もうすぐ平成が終わろうとしています。この平成という時代、本当にいろいろなことがありました。
 まず、ネット社会の広がりです。各家庭にインターネット回線が導入され、私たち視覚障害者でも、パソコンやスマートホンを使って、電子メールを利用して文章をやりとりしたり、図書館から点字や音声図書を利用したり、新聞やネット情報を読むことができるようになりました。これは情報障害者である私たちにとって、すばらしい知の革命であると言えます。
 次に、平成7年の阪神大震災や、23年の東日本大震災、同年9月の紀伊半島豪雨など大きな災害がありました。特に災害弱者ともいわれる私たち障害者にとって、大災害時における心構えや対処方法など、再認識させられることが多くありました。
 それから経済の停滞と価値観の多様化です。
 平成に入ってからの30年、国民の収入はほとんど増えていません。また、世帯の収入にも、格差が生じました。どんどん新しいものが家庭や地域に入り、日々、時代の進化に小躍りしていた昭和に比べ、うきうきする気持ちがやや少なくなり、人々の考え方や価値観が多様化しました。
 昭和の前半に生まれた身としては、この平成の30年、仮想的な人と人とのつながりや情報の交換が飛躍的に広まった反面、顔を向かい合わせての話し合いや、肌と肌とを触れ合うような、人間くさい人付き合いが希薄になり、やや物足りなさや寂しさを禁じ得ない今日この頃であります。
 もう新しい時代がそこまで来ています。どんな時代になろうとも、視覚障害者にとって暮らしやすい明日の社会の実現に向けて、和視協は活動を続けて行かなくてはなりません。
 どうぞ和視協の未来に向けて、理解ある皆様のお力添えをよろしくお願い申し上げ、巻頭言といたします。

《和視協この一年》

                     書記 寺本 津規子

 和視協会員の皆様こんにちは、本年より書記をさせていただいています寺本です。初めて体験することには、少し緊張しながら、皆様にいろいろ助けていただきながら何とか1年目を終わることができました。ありがとうございました。
 市身連理事会で、音声体温計について質問したところ、日中、障害者が1人になるケースは支給対象になると、市役所から数日後に回答をいただき、困っている会員さんにお伝えできたことは、嬉しい出来事でした。
 和視協の行事も、1年を振り返ってみますと、それぞれに意義ある行事であったと思います。参加して一つ一つの行事を盛り上げてくださった会員の皆様と関係者のご協力に感謝申し上げます。来年度も変わらずよろしくお願いいたします。
 以下にこの1年間に行われた主な行事についてその概要を記します。

 【和視協の行事】
2018年
4月 1日 和視協平成30年度定期総会
     会員86名 出席36名 委任状40通 合計76名
  ○来賓 森井副市長  市議会議長 古川 祐典氏
      支援課長 西 喜彦氏
  ○議長団 河北分会 山崎 浩敬氏  紀伊分会 中村 純治氏
   上程議案すべて可決
 役員改選の結果 会長 畠中 常男  副会長 北口 豊 幸前 勇
         監事 宮本 克二 坂井 勉の各氏が選出

4月15日 和視協執行部会(10:00〜) 和視協理事会(11:30〜) 
     ふれ愛センター2階 視聴覚室
     書記に寺本、会計に松下の各氏が理事会にて承認。

6月 3日 和視協点字教室(13:30〜) ふれ愛センター3階研修室2
   内容:「白い杖」クイズの解答と景品の授与、「とつてんく  んの紹介と体験、点字グッズの回覧・ブレイルセンス  ミニの紹介
   参加者:27名
   講師:寺本・北口・幸前の3氏

7月 1日 第1回教養講座 ふれ愛センター3階研修室2
   内容:「iPhoneによる視覚障害者用ソフトのデモンストレー      ション」  講師:幸前氏  参加者:22名

8月26日 和視協第2回執行部会 和視協理事会
   ふれ愛センター4階会議室 
   西日本豪雨被害者への寄付金13,660円ご協力いただく。

9月17日 社会見学 
   行き先:道成寺とパン作り体験(福祉バス利用)
   参加者:40名

10月14日 福祉学習会 ふれ愛センター4階会議室 
   テーマ:「視覚障害者に優しいタクシーを目指して」
  パネラー:(一社)和歌山県タクシー協会 専務理事 安東 完爾氏        他  参加者:20名

12月 2日 和視協文化研修会 ふれ愛センター4階大会議室
   内容:文芸大会の作品発表と表彰、サクソフォン演奏
   演奏者:梶間陽二氏  参加者:40名

2019年
1月13日 研修会 ふれ愛センター3階研修室1
   内容:演題「視覚障害者に対する同行援護と家事援助、日常 生活用具と補装具の給付について」
   講師:和歌山市障害者支援課の柑本・岸・森田・北山の4氏。
   参加者:35名

2月10日 第2回教養講座・第3回執行部会
   ふれ愛センター3階研修室2
   内容:演題「歌謡曲の四方山話あれこれ」
   講師:和歌山放送ラジオアナウンサー 小田川和彦氏
   参加者:42名

3月10日 和視協 理事会 ふれ愛センター4階会議室

 【女性部の行事】
2018年
4月 8日 県視協女性部総会 ビッグ愛 13名参加
5月27日 童謡を歌う集いに参加 海南市保健福祉センター
     10名参加
8月19日 料理教室 ふれ愛センター 2階調理室
     講師:三國 和美氏 10名参加
     献立:彩りそうめん、夏野菜の電子レンジ料理、
     火と包丁を使わない手間なし料理、デザート
10月21日 手芸教室  ふれ愛センター ポチ袋作り
     講師:山崎 由紀子氏 8名参加
12月16日 バルーンアート教室 ふれ愛センター
     クリスマスリース作り
     講師:松本 真生子氏 11名参加
2019年
1月27日 料理教室
     ふれ愛センター調理室
     内容:“もしもの備え? 防災食を体験しよう!”
     ポリ袋ごはん・親子どんぶり・乾物みそ汁 他
     講師:三国 和美氏 18名参加
3月 3日 講演会 午後1時から2時 ふれ愛センター 2階会議室
     内容:和歌山らく楽会 子ども落語 鑑賞
     平成31年度女性部総会 午後 2時10分〜3時30分

 【関連団体の行事・会議他】
2018年
4月15日 市身連代議員会 14:00〜
4月22日 県視協 第1回部会委員会 和歌山ビッグ愛 11:00〜
4月28日 県身連団体長会議 ビッグ愛 13:30〜
     県身連事務所の賃借料について
5月13日 市身連 社会見学 万博記念公園鶴見緑地ほか(大阪市)
5月24日 市身連理事会 ふれ愛センター 4階会議室 18:00〜
5月26日 和歌山市相談員研修会 ふれ愛センター3階研修室(1)
     9:30〜
5月29日 県身連評議員会 ビッグ愛 13:30〜
6月10日 県視協 文芸大会 御坊市
7月22日 市身連 将棋大会 ふれ愛センター
     和視協からオセロに5名参加
8月 2日 市身連理事会 ふれ愛センター 18:00〜
8月 5日 県視協 点字啓発セミナー(点字講習会) ビッグ愛
     はり・きゅうの日キャンペーン JR和歌山駅前
8月29日 市身連 福祉対策協議会 ふれ愛センター 18:00〜
9月 3日 障害者雇用支援月間街頭キャンペーン
     JR和歌山駅前(中央口、東口)
9月 9日 第61回 和歌山県身体障害者福祉大会 有田市民会館
10月28日 県視協 研修会 和歌山市 JR和歌山駅見学
11月11日 市身連 第66回福祉大会及び第1回教育講座
     ふれ愛センター
11月13日 市社協福祉大会 市民会館
11月20日 第38回 日身連近畿ブロック身体障害者福祉大会
     相談員研修会 奈良県
12月 3日 障害者週間啓発事業 街頭キャンペーン
     JR和歌山駅前・南海市駅前
12月 8日 平成30年度和歌山市障害者福祉表彰授与式
     和歌山市役所 14階大会議室
12月 9日 市身連第3回理事会 懇親会
     アバローム紀の国 16:00〜
2019年
2月3〜4日 県身連幹部研修会 白浜町
2月24日 市身連 第2回教育講座
     大阪伊丹空港・岸和田だんじり会館・国華園
3月 3日 県視協第2回部会委員会 和歌山市
3月22日 第4回市身連理事会 ふれ愛センター

 【平成30年度表彰者】

第61回和歌山県身体障害者福祉大会
 会長表彰 礎賞 寺本 津規子 氏

第66回和歌山市身体障害者連盟福祉大会
 会長表彰   中村 純治 氏
 会長感謝状  西中 洋子 氏

平成30年度和歌山市社会福祉大会
 市長表彰  澤田 留司 氏

紀の国チャレンジド賞・サポート感謝状授与式
 知事表彰  (自立更生者) 西中 利明 氏
 知事感謝状 (ファミリーサポート功労者) 藤岡 和美 氏

和歌山市障害福祉表彰授与式
 市長表彰 更生援護功労者 松下 淳二 氏


 【会員の動向】
○退会者
 河北分会  宮原 俊恵さん(平成29年度末)
○入会者
 東和分会  鍋島 加代子さん 矢田 美智子さん
 和歌浦分会 奥野 幸子さん 岩本 幹子さん
 新光分会  乙谷 タツ子さん
 河北分会  吉本 雅秀さん 

 [平成31年3月現在 会員数91名]

《文芸の広場》

文化部長 北口 豊

 本会には、俳句を楽しむ「若竹」と川柳で頑張っている「ドングリ」の二つの文芸サークルがあり、14名の人達が句作で脳トレをしています。
 具体的な活動は、奇数月が俳句、偶数月は川柳をそれぞれ先生から出題された兼題に応じて作った句を点字やメールで北口の所に送り、点字の分からない先生方が判読できるように北口が墨字になおし、一つの句集にして、二人の先生方に郵送します。その一つずつに先生方の添削や指導コメントが添えられたものが再度北口の処に返送されてきます。それを一括して句集にして点字の人には点字で、メールの人にはメールで転送する、つまり通信指導形式を取っています。したがって、みんなの句も判るし、その句に対する先生方のコメントも読むことができ、句作の参考になるというシステムです。
 また、年に1度は直接先生を囲んでの句会を開催し、その場で出されたお題(席題)で半時間余りで作句し、後でそれぞれの句に対してご指導を頂く機会もあります。また、川柳では三宅先生から1席の人には毎回賞状を頂戴しています。
 なお、当サークルでは活動費(郵送料や先生方への謝礼、句会の茶菓子等)として、年間1,000円の会費を頂戴しています。皆さんも当サークルに入って脳の活性化にチャレンジしてみませんか。
 我こそはと思う方は、電話 073−445−6851 北口まで。
 では、以下に平成30年度中に俳句の大倉義正、川柳の三宅保州のお二人の先生から好評価を頂いた年1度の文芸大会と各月に通信指導を受けている句集の中から優秀句を紹介します。


  【若竹(俳句)】  選者 大倉 義正先生

 年玉と思ひで乗せて新幹線     (丸山 孝雄)

 自慢げに子ら初夢を話し合ひ    (宮地 良和)
 二日早始まる孫の塾通ひ      (市川 和郎)

 初夢や富士の高嶺の宴かな     (栗本 邦男)

 子ら遊ぶ蜜柑や餅を転がして    (吐崎 敦子)

 糸換へて春を編み出すさをり織り  (市川 和郎)

 梅が香に足止め花に顔を寄す    (宮地 良和)

 梅が香に誘はれ遠出する散歩    (北山 和代)

 一枝の梅和ませる施術室      (北口 豊)

 白杖や沈丁に家教へられ      (北口 豊)

 囀りや子ら集団で登下校      (丸山 孝雄)

 肩車されて見上ぐる鯉幟      (宮地 良和)

 父の日に特級提げて孫連れて    (北口 豊)

 窓際にサボテン並ぶカフェテラス  (市川 和郎)

 笹百合や旧家を守る里の母     (丸山 孝雄)

 本閉じてしばし聴きゐる虫の声   (北山 和代)

 子ら植ゑし校庭の稲子らが刈る   (宮地 良和)

 吾子眠り添い寝の母の捨て団扇   (北口 豊)

 教会の鐘かんかんと長崎忌     (市川 和郎)

 ハーモニカ吹くよに食ぶる西瓜かな (吐崎 敦子)

 里帰り早朝の駅すずしけり     (丸山 孝雄)

 ITで耳より読書夜長かな      (丸山 孝雄)

 盲学校百年式や文化の日      (市川 和郎)

 お堀端紅葉落ち葉の筏かな     (宮地 良和)


  【ドングリ(川柳)】  選者 三宅 保州先生

  兼題「寒い」

 地蔵まで肩をすくめる寒の入り   (途夢太郎)

 独り寝の寂しさ誘うもがり笛    (章夫)

 寒い朝気合いを入れて飛び起きる  (良和)


  兼題「1」いち

 一杯の梅酒力にプロポーズ     (途夢太郎)

 (俳句)一番に起きて静かに朝支度 (アキ ヘルパー)

 (俳句)1歩ずつ歩めば後に花が咲く (邦男)


  兼題「昭和」

 昭和生まれもったいなくて捨てられず (照明)

 持て成しの心昭和の置き土産     (途夢太郎)

 わんちゃんに勇気もらった昭和基地  (良和)
  兼題「傘」

 電車からつれて降りてと傘嘆く    (志津子)

 昔の映画傘で隠したラブシーン    (照明)

 雨が止み杖と傘とでノルディック   (良和)


  兼題「暑い」

 暑いのにひっついてくる甘えんぼ   (照明)

 これ以上上がれませんと温度計    (途夢太郎)

 路熱く犬が足踏み赤信号       (良和)


  兼題「運動」

 運動が過ぎて腰痛医者通い      (武司)

 近いのにスポーツジムへマイカーで  (照明)

 句作りで運動させている左脳     (途夢太郎)


  兼題「終わり」

 カレンダー十一枚は何してた     (孝雄)

 終活を始めましたと年賀状      (途夢太郎)

 余命知り家族で悔いの無い介護    (良和)  

《あがらのひろば》

 ここでは、会員から頂戴したエッセーを紹介します。まずは、新しく入会された奥野さんのエッセーからです。



「生きていればこその毎日」

和歌浦分会 奥野 幸子

 2018年9月、やっとの思いで住み慣れた家に帰ってきました。そして畠中会長様のご理解のもと和歌山視覚障害者福祉協会に入会させて頂きました。仲間のひとりとして加えてもらって本当に嬉しいです。今年の私の漢字ひと文字は、「帰」です。
 ふり返れば4年前です。14年ほど、点眼しながら眼圧、視力検査、視野検査と近くの眼科で管理をしてもらっていました。そして2015年1月9日にK医療センター眼科部長の緑内障手術を受けました。8日間の入院でしたが、眼圧が落ちつきません。1月26日に左目も手術しました。でもそれもよくならず年末まで車を運転出来ていた目が見えなくなってしまったのです。
 左目も8日間の入院で、1月中は病院で心配な日々を過ごしました。3月に通院したおり、目の写真やMRI、脳のCT、脳のMRIとたくさん検査をして緊急入院(3月5日〜3月10日)でした。ステロイドの点滴を3日しました。最後の日は包括支援センターの方が病室に来て介護保険の説明をしたり、早く治りたいという患者に対して治せる病院を紹介するとか、どうするか自分で考えてほしいなどと…。私の苦悩をどれほど知ってか知らずか。わずか90日で失明状態になり、その後施設にお世話になることになってしまったのです。施設に入所してからも眼圧は上がるばかりで、いっきに視力が落ちてしまいました。
 6月下旬、友達から「2月に緑内障の手術をした人が見えなくなり、病院で怒鳴りまくったので、病院が大阪の病院へその患者さんに行ってもらったんやて」という話しを聞いてきてくれました。そこで、私も早速、携帯からK医療センターにその話しをすると「そんなことはありません」と言いはるばかり。粘りに粘って7月16日に紹介状をもらい7月29日に大阪の病院に行きました。目の写真をモニターTVに映してくれました。
 医師の説明によると、「視神経が100万程あるけれど、奥野さんの目はその中心視野が欠損していて、お金も文字も見えないのです。再生はしないから視力は出てこないかもしれないけれど、眼圧は90%下げられますよ」ということだったので、再手術をお願いしました。
 8月18日右目、9月29日左目と行い、糸を切る度に眼圧が6とか5になり、1ヶ月後には眼圧が8と9になり足元が明るくなりました。真っ黒だった目にも光がさしこんだようでした。やはり助けてやらなければと思う先生の真心のお陰です。今も白杖を使い手探りの生活ですが、拡大読書器を通して普通文字を読んだりできるようになりました。
 先日、NHKラジオ深夜便で、天野篤順天堂病院長が言われていたことが胸にしみました。
・手術の合併症は手術後の患者をしっかりみる。
・勉強してどれだけ腕に経験があるか。
・患者さんに手術させてもらって感謝の気持ちを持つ。
・手術の成功は、患者さん達のその後の幸せな暮らしをみて安心する。
・患者一人ひとりは、以前よりよくなりたい元気になりたいのだ。
・たましいも体も健康でありたい。
・患者がトラブルを訴えてきた時は、患者に寄り添い真摯に向き合う。
 この天野先生のお考えに対し、K医療センターは上から目線で患者をはねつけるばかりだったのです。

 障害は不自由なれどジャンプする
 一人暮らしを案じる言葉聞いている

 (編集者コメント):中途失明の方は大変なご苦労やご心痛を味わわれるものなんですね。「同病相憐れむ」という言葉もありますが、会員は皆多かれ少なかれ、「見えない・見えにくい」ことに、日々、不安や不満を持ち続けておりますが、一人ではその悩みや苦しみは何倍にも膨れあがりますが、会員皆と分け合えば、何分の一、何十分の一になりますので、皆が力になってくれると思います。
 最後の句にありますように、障害を「不自由」とは思わず「エネルギー」と考え、高く高くジャンプしてください。ご投稿ありがとうございました。



「私の生い立ち」

新光分会 笹川 武司

 立春も過ぎ、梅の開花便りも聞こえてきました。これから三寒四温の繰り返しで、桃・桜の開花便りも聞こえて来ることでしょう。花便りではなく、私の生い立ちを少し話させていただきます。
 お付き合いください。
 私、幼少期、九州で育ちました。
団塊世代の私、鶴の越冬地鹿児島県出水市、祖母の家で生まれました。祖母の家は、離れ島でした。今では車で渡れます。母が子供のころは、潮の満ち引きで渡し船を使ったそうです。
小学生のころ、鹿児島本線の鈍行で祖母の家を何度か訪ねたことがあります。その時は、バスも走っていて、車掌さんが、首から革鞄を下げて切符を切っていました。一人旅だったので、行き先を訪ねられた気がします。祖母の家は、山の中腹で石を積み上げた階段の終点でした。お宮さんが少し上にありました。風呂は五右衛門、最初はどんなにしてはいるのやら分からず、祖母に聞いたものです。トイレは、屋外で豆球だったようです。日中は、極端には困らなかったのですが、夜間の行動には危険が伴いました。以前から、私の目には支障があったみたいで、両親が九大の眼科を訪ねて診察を受け、その時、将来の失明を告げられたようです。煎じ薬・ヤツメウナギ・バターなど、少しでも視力を保てるように栄養になる物を食べさせてくれました。両親には感謝するだけです。今、親になってひしひしと感じます。
幼少期は、福岡県遠賀郡で育ちました。父の仕事の関係で、八棟長屋の炭住で暮らしました。父は戦後の基幹産業であった石炭を掘削していました。事故にも遭遇し、知人の不幸を見て、明日は我が身だと思った様です。「船底一枚地獄」じゃないが、爆発や落盤事故を考えたのでしょう。父も落盤事故で生死をさまよい、三年ほど治療をして退職しました。その後、親戚を頼って和歌山にきた次第です。
私は中学1年まで台所二畳、和室六畳、板の間三畳、二階八畳、庭四畳半に、鶏を飼い、花や野菜を植えた家に住んでいました。
 長屋なので、棟の傍らに数字の看板がありました。百棟以上あった気がします。それ以外にも、棟の少ない長屋や平屋、数十棟があったかもしれません。手洗いや風呂は共同でした。共同浴場の前は広場で、鉱山の出張所があったはずです。野菜・魚・肉屋など、個人店舗以外に生活協同組合の店舗もあったはずです。夏休みには、ラジオ体操、夏は櫓を組んで盆踊り、年末は、餅つきがあった気がします。鏡餅・餡子餅・豆餅など、正月準備をしたのでしょう。
 父の仕事は、三交代だったので、夜勤の時は、家族皆静かにしていました。夜勤の家には、玄関に赤い布が出してあったようです。
煮炊きには、今と違って、七輪を使用していました。燃料は、薪・豆炭・石炭・練炭でした。玄関脇に豆炭・石炭を収納するスペースがありました。
 自宅から小学校までは30分程度かかりました。石炭や人を運ぶ鉄道沿いを歩くのです。途中、鹿児島本線をくぐり、貯水池を眺めて通いました。学校は、木造の二階建てでした。廊下を走りよく叱られたものです。
帰宅は、友達の家に寄ったり、貯水池で遊んだりして1時間以上かかります。自宅にもどっても、ランドセルを玄関に置いて、夕食まで帰らなかった気がします。近所の子らと、野山を走り回っていました。危険な目にも遭いました。はげ山から滑り落ちたり、ため池にはまったり、命を失う寸前まで行きました。
 小学生時代の思い出はまだまだありますが、最後に、正月の思い出を少し話して終わらせていただきます。
 家族揃って、カルタや双六をしていました。喉が渇けば蜜柑を食べ、お腹がすけばお餅を焼いて食べたような気がします。現在は飽食の時代、蜜柑や餅など味わうことが少なくなっているようです。時代と共に、正月風景が変化しているのでしょう。冷蔵庫も家庭にあるし、店も正月早々開いています。お年玉もスマホで払えるようになっているようです。
 少しだけ、お話をするつもりが、長くなってしまいました。お付き合い、有難うございました。

 (編集者コメント):平成ももうすぐ終わりです。笹川さんの子供の頃のお話し、昭和がまざまざと蘇ってきますね。次回は平成のお話しもお聞きしたいです。ご投稿ありがとうございました。



「今日生きる」
河北分会 栗本 邦男

  病得て思い新たに今日生きる

  浅蜊売り今は無き声届く町

  おぼろ月杯に映して酔い重ね

  里の村空に映えるや萌黄色

  舞蝶にコスモス似たり遠き風

(編集者コメント):栗本さんは現在闘病中です。1日も早いご本復をお祈りします。



「映画革命」

和歌浦分会 亀山 直美

 これまで私は、映画を聴くことをすっかり諦めていました。
 劇場でのロードショーはもちろんのこと、地上波放送を聴くこともです。遠くからの大音量なので、音が聞き分けにくい。「一度きりで見せる」映像面でのインパクト主眼においた作品作りがなされるので、音だけでは情報を取りこぼすことが多い。などの悪条件が重なって、登場人物の感情の動きやクライマックス、結末が不明瞭で、ストレスがたまるからです。アニメーションが好きな私は、「となりのトトロ」や「風の谷のナウシカ」で、どんなに悔しい思いをしたことでしょう。音楽・台詞・効果音は素晴らしいのに、全体をつかみきれないもどかしさったら!まっくろくろすけしゃべんないし、トトロや猫バスなんか怪獣みたいだし。映画なんて、映画なんて、所詮、私には無縁なんだ。つまらない。なくたって生きていけるんだ。
 まだ私には、じっくり聴き返せるテレビが残っているのです。
 テレビシリーズ長編の方が、毎週短い一区切りを積み重ねることで、登場人物の声を覚え、世界観を把握する機会に恵まれるので、置いてけぼりになりにくい傾向にあります。
 ところが。革命が起きました。火曜サスペンスや朝の連続テレビ小説などで細々と稼働していた「アイパートナーシステム」が、映画に進出してきたのです。UDキャストとシネマ・デイジーという形をとって。
 UDキャストとは、スマートホンなどの端末を介して、作品上映中、リアルタイムで、多言語字幕、手話映像、多言語音声や音声による状況解説を提供するアプリケーションです。
 シネマ・デイジーとは、UDキャストを視覚障害者向けにカスタマイズし、デイジー化した試みで、情景、人物の表情、テロップなどを読み上げて、副音声を付けた、「耳で聴く映画」です。
 UDキャストのメリットは、なんといってもその速さ。映画が封切られると、時間差なく楽しめること。一方シネマ・デイジーのメリットは、上映が終わった作品でも、デイジー再生機を操作して自分のペースでじっくり聞けることです。
 本当に多くの情報を取り損ねていたのだなあというのが、いくつかの作品を聴いての私の痛感です。そして、手のひら返し。映画は楽しい!
 「となりのトトロ」の、感嘆詞オンリーの長いシーンには、実はメイちゃんがくろすけを追いかけ、小トトロを追いかける大冒険が詰め込まれていたとは。
 「新ゴジラ」で、にょろっとした動作とつぶらな瞳が、抱き枕にしたいくらい、キモカワイイ、キモカワイイと大人気の「蒲田君」。デイジーでは「巨大不明生物」と呼称されて、まるで無機物の自然災害扱い。
 「この世界の片隅に」では、すずさんの心情が、描く絵で表現されていたり。
 そんな幾つもの鮮烈な発見を、皆様にも味わっていただけますように期待をこめて、また、音声解説に携わってくださる多くの方々に感謝を込めて、筆を置きます。

(編集者コメント):私も最近この「シネマデイジー」なるものにはまりかけています。サピエに蔵書が増えました。そう私たちには4Kも8Kも何十インチの大画面も必要ないのです。役者の所作や場面説明があるだけで想像の翼を大きく広げられるのです。遅ればせながらあの「釣りバカ日誌」を第1作から制覇してやろうかなどと考えています。楽しいエッセーをありがとうございました。



「街のあん摩さん」

東和分会 北山 和代

 私は、昭和23年3月、磯ノ浦に仮校舎が在った今の和歌山県立和歌山盲学校を卒業しました。戦争のため焼かれてしまい、町中が焼け野原になって、食料も無く、狭い建物の中で生活しながら、勉強に運動にと励んだ校舎を後にしたのです。
 今で言う15歳、数え年17歳であん摩の資格を取れたのだからと言っても別科だけの卒業でした。これ以上家計が許さんという親の意見で疎開先の山奥に帰りました。
 そこで父は「こんなことしていてはあかん」と言いだし、空襲で焼け野原になっている焼け跡にバラック小屋でも建てようと心を決め、和歌山市内に帰ってきました。
「有り金叩いて建て、まず働こう。お前もあん摩という仕事ができるんだから働け」と言われ、私はある先輩の家に助手として通うようになりました。数え年17歳の私には学校で習ったあん摩を一生懸命にやるしかありませんでした。
 そんな状態ですので僅かな収入しか得られず、これでは当時一家6人家族は飢え死にする。折角小さいながらもバラックの家がある。そこで働こうと決め、看板を出したところ、ぼつぼつお客さんがやってきてくれだした。私は一生懸命仕事に励みました。だんだん着いてきてくれるお客さんにただありがたく一生懸命働きました。そしてその後、盲人会にも業団体にも入会しました。
 そうこうしているうちに先輩達からかわいがられ、「今年の末頃に最後の検定試験があるから鍼灸の資格を取っておきなさい、私がお世話してあげるから」と言われ喜んだ。私は昼間は仕事をして、夜、先輩達が自分の家を提供して開いてくれる講習会に通い詰めた。当時は視力ももっとあったし、勉強にも励みました。
 さて、試験の日が近づき手続きをするようになった時点で私だけが若すぎるから問題だ、17歳じゃ教える期間も修得時間も足りないからだめだ」と言われ、先輩が県に交渉に行ってくれました。「私が教えたのだ。たとえおしめを取り替えながらでも教えられる、責任を持つから受けさせてやってくれ。あれだけ頑張ってるのだから可哀想だ」と無理押し続けること何回かで県もやっと認めてくれるようになり喜んだ。「その代わり頑張ってくれよ」と励ましてくれた。
 そんなこんなで幾つか難関を突破し、果たして試験となった。試験当日、「上がるなよ、上がるなよ」と励まし続けてくれたし、私も力の限り一生懸命頑張った。
 さて、発表となった。みんな緊張してその時間の来るのを待った。なにかと心配してくれる先輩達もさすがに緊張しているようだった。
 2番目に竹田光於(みつお)と名前があった。私の旧姓旧名である。「ああ良かった。」一息ついた私は、ただただ先輩達に感謝するばかり。徐々に、すごすごと帰る人、喜ぶ人、みんな帰ってしまった。こうして、別科しか出ていない私が鍼灸マッサージの免許を獲得できたのである。
 当時の免許証は鍼・灸・マッサージ・あん摩の4枚になっていた。あん摩はすでに卒業の時にもらっていた。数え年18際、満16歳の私は一層頑張ろうと決意したのである。
 その後、出張治療をしてくれないかという声も増え、私は出張治療に切り替え、母の手引きで市内であればどこにでも出向くということにしてあちこち歩き回った。そうすることにより収入も増え、私も喜んだ。
 兄弟達も手伝ってくれた。2・3日だけでもその上がりは増え、気付けば父のそれよりも遥かに多くなっていた。
 こうして「あん摩さん、あん摩さん」で町中を出歩き治療し、頑張って3年ほど経ってから父の提案で二人の稼ぎで家を建てようということになり、計算すると私の方がずっと多かった。そこで二人のお金を合わせ、小さいがバラックではなく家らしい家が建てられた。
 そんなある日、私に役所から成人式の案内が届いた。開けてびっくり、その案内状には「竹田光於殿、男性」とあったのである。それを見てびっくりした父は「家を建てる金を出してくれた代わりに、この名前を変えよう」と言いだし、いろいろ調べた結果、家庭裁判所で裁判にかけなければ戸籍は変わらないと言うのです。早速、手続きを進め戸籍を換える裁判をすることになりました。どういう名前が良いだろうと考えた末に、結局、和歌山に住んでいるからその「和」と「代」で「和代」と決めたのです。
 裁判所なんて初めてのこと、私も裁判官からの質問をいろいろ受け、晴れて「女名前」になったのです。その後、父はにこにこしながら、「女の名前になったんだからもう働かんなんて言わないでくれよ、おまえのお陰で我が家は大助かりしてるんだから」と言ってくれました。私はその後もお客さんをどんどん増やし、「街のあん摩さんとして有名になりたい。和歌山市の人なら誰でも知っているあん摩さんになりたいから頑張るよ」と言って家族を喜ばせました。成人式も無事に終え、女らしい名前を頂いて、ますます忙しくなっていく仕事に喜び、妹や弟も学校に入れ、母の付添で寝る間も惜しんであん摩に励みました。  
 それから10年後、昭和31年6月1日、お客さんを親しい友達に譲り結婚した。紀南の方に嫁いだものだから、仕方なくそうしたのだった。しかし、私には働くと言うことが備わっているようで、結婚後1年目に類焼でまたもすべてを無くしてしまったけれど、治療院に就職して昼も夜も働き続けた。火事ですべてを無くしたのだからそれを取り戻さなければならないので、親の援助も断り働いた。昭和46年には治療室兼居宅を新築することができた。和歌山市に帰ってきてからである。
 その後、昭和50年に身障連盟の経営する盲人ホーム長として就任した。鍼灸の免許を持っていたので、あの時ほど資格がありがたいと思ったことはない。改めて世話をしてくれた先輩達に感謝した。そこで10数年勤務の後、私も足腰が弱くなってきたので退職し、主人の治療室を手伝うことにした。
 今は私も車椅子の生活で施設で独りぼっち。つくづく人生は長かったと思う。一人二人と仲良しだった会員も亡くなったりで寂しくなり一時は退会も考えたけれど、思い直して少しでも楽しく明るい余生を過ごせるよう、元気を出して前向きに生きていこうと思う。 苦労してやっと見つけた我が居場所、介護施設に余生をおくる。

(編集者コメント):大先輩のお若い頃の苦労話をとても興味深く読ませていただきました。また、お名前のことについてはとてもびっくりしました。私の知り合いにも同じ手続きを踏んで改名された方がおられました。本名以外に源氏名とか芸名とか雅号など、最近ではペンネームやラジオネーム・ハンドルネームなんていうのもあるようですね。北山さん、お元気で今後とも後に続く私どものご指導ご鞭撻の程、よろしくお願い申し上げておきます。



「指についての一考察」

和歌浦分会 北口 豊

T 初めに
 7人の子供を産んだ私の母の口癖は「指は自分の子供と同じでどの指を切っても痛いものだ。おまえのその指は目の替わりもするんやから大事にしなさい」というものだった。「貧乏人の子だくさん」を地で行く北口家の6番目、それも双子の片方として生まれた私は、3歳で麻疹で失明する。それから60年余り、この10本の指と連れ添ってきた。幸か不幸か子供の頃から何でも触ることを怖がらずに来た。生きた魚、生まれたてのネズミの子供、蛇の子供、象の鼻、ナマコ、イルカの背中、等々。でも、どういう訳かナメクジが嫌いだ。生きたウナギなどのヌルヌルした魚なども平気で触れるのにあのナメクジだけは苦手だ。
 ある時、姉がみの虫を触らせようとしたことがあった。それまでに芋虫やカブトムシの幼虫等も触ったことはあったが、あの類いはあまり好きになれなかったので「みの虫」と聞いて同じようなものを想像して、頑なにそれを拒否したのだけれど、姉が何処かに行った間にそっと触ってみると、ただの枯葉の固まりのようで安心したことがあった。それで、その皮を剥いでいくと、温かい綿のようなものに覆われた内部から、ニョロッと柔らかい虫が出てきて思わず手を振り払ったものだ。そう、あれがミノガの幼虫である。

U 指の名前といろんな働き
 ところで、手の指にはご存知のように、それぞれにいろんな呼び方が付けられている。幼児に指の名前を教えるときには、親指をお父さん指、人差し指をお母さん指、中指をお兄さん指、薬指をお姉さん指、小指を赤ちゃん指など、また、医学的には第一指(拇指・母指・巨指、巨擘[きょはく]指)、第二指(示指・塩舐め指・食指)、第三指(中指[ちゅうし]・長指)、第四指(薬指[やくし]・紅刺し指・環指[かんし])、第五指(小指[しょうし]・季指)などと名付けられている。
 また、この他、指は主に聴覚障害のある方々が使用する指文字や盲聾者の方々が使用する指点字などには欠かせないものだし、楽器を扱うミュージシャンや最近は誰もが操作するパソコンやスマホなども指が大きな働きをしている。とりわけ、私たちの多くが生業としているあん摩・はり業においては、その指の恩恵に与っているのはあえてここで私が力説することもないだろう。
 この他、俗に小指をガールフレンド、親指をボーイフレンドと称したり、指を使っていろんな表現をする場合がある。しかし、それらは日本だけで通じるもので、世界中では日本と真逆の意味をなす場合があるらしい。以下にその幾つかを紹介したい。
 @ 相手に手のひらを向けたピースサイン:よく記念撮影で使われます。欧米では「Vサインは勝利」を意味しますが、ギリシャでは「侮辱」という意味になります。これは「犯罪者に向かってものを投げる投げ方」だからです。
 A 相手に手の甲を向けたピースサイン:日本で最近よく見かけるポーズの1つで、「Vサインの一種」として芸能人やトップアスリート達がするポーズで認知されていますが、特にイギリスやオーストラリアでは「性的な表現」を表すことになります。
 B サムズアップ(拳を握った状態で親指を立てる):日本では「男性」を表すサイン、欧米では「Good」を表すサインです。また、ヒッチハイクで車を呼び止めるときにも使用します。しかし、中東・南アフリカ・南米では大きく意味が変わります。
 ある国では「幸運を祈る」という意味でも使用されます。ブラジルでは「了解した」という意味になります。中東・南米・南アフリカではこのポーズを「性的な表現に由来する侮辱・揶揄」に当たるようです。
 C 人差し指と親指でマルを作る:日本ではお金の単位「円」の由来になったサインで、「お金」を表します。また、「OK」を表すサインとしても知られています。しかし、フランスでは、「ゼロの意から役立たず」という意味になり、南米でやると「下品」という侮辱の意味になります。
 D サムズダウン(拳を握った状態で立てた親指を下に向ける):この「拳を握った状態で立てた親指を下に向ける」しぐさは「闘技場で戦って敗れた人間を殺せ」という意味です。日本やアメリカで、ブーイングをするときのしぐさとして知られていますが、日常生活で使うと相手の怒りを間違いなく買いますので注意してくださいね!
 E 小指を立てる:日本では、製造現場や建設現場では「クレーンの地切り(地面から少し浮かせる)時にゆっくり巻き上げる」という意味で使われます。日常生活では「彼女・女性」を意味するもので使用されています。ところが、中国では「無能者」を意味するものになります。最近我が国にも大勢中国人が来ていますが、仕事やプライベートで何気なく使用してトラブルを誘発しないようにしましょう。
 F 中指を立てる:これは、欧米では「F○Ock you」という最も侮辱表現になります。欧米では間違いなく撃たれます。決してやらないでください!また、中指を出して人を指すポーズは、フィリピンでは「失礼に値する」という意味になります。
 G 人差し指と中指の間に親指を入れて握る:日本でもこのサインは「セックス」を意味し、トルコでもほぼ同じ意味でとらえられますので十分注意したい。

V アメリカで話題「中指の次に長い指でわかる性格診断」
 自分の手が次の3種類(A/B/C)のどれに該当するか、ぜひ確認してみてください!
 A:中指の次に薬指が長いタイプ=チャーミングな愛されタイプ。いかなる時でも自分の意見を持っているタイプ。相手の意見に同調できない時もあるけれど、問題を解決する能力が高く、科学者やエンジニアのような方に多いタイプ。男性に多い。
 B:中指の次に人差し指が長いタイプ=頼りになる自信家タイプ。いつも自信満々。責任感が強く、引き受けた仕事はやり抜いてくれるタイプ。ハングリー精神が旺盛で向上心が高く、現状に満足しない。チームワークよりも個人プレーが得意だそうだ。ちなみに、人差し指が長いのは女性に多いと言われています。
 C:人差し指と薬指が同じくらい長いタイプ=争いが嫌いな平和主義者タイプ。高い協調性を持っており、穏やかに物事をこなしていくタイプ。相手によって柔軟に自分を変化できる。ただし、一度怒らせてしまうと、なかなか関係性が修復できないため、謙虚な付き合いを心がけましょう。
以上3タイプ、自分に心当たりはありましたか? 手軽にできる診断ですので、ぜひ何処かで紹介してみてくださいね

W あの日は何曜日?簡単指カレンダーって
 手近にカレンダーや時計がなくても自分の指がカレンダーになります。これは、私が中学1年の時に、転校してきた彼に教わったもので、先日ネットサーフィンをしていて偶然見つけたので紹介します。
 指は人差し指、中指、薬指の3本を使います。指の使用する部分に判りやすいようにそれぞれに番号を付けましょう。
 人差し指の頭を 1番。
 人差し指の第1関節を 2番。
 人差し指の第2関節を 3番。
 中指の頭を 4番。
 中指の第1関節を 5番。
 中指の第2関節を 6番。
 薬指の頭を7番とします。
 次に、上記の1から7までに1週間の曜日と毎月の日を当てはめます。少しややこしいですが着いてきて下さいね。
 ここで押さえておきたいのは、調べたい年の1月1日が何曜日だったかを知っておく必要があります。ちなみに今年2019年の1月1日は火曜日でした。
 そこで、上記の1番の部分を火曜日と設定します。したがって1番から7番までは、1が火曜日・2が水曜日・3が木曜日・4が金曜日・5が土曜日・6が日曜日・7の薬指の頭が月曜日となります。
 次に月ですがこれは順番にならないので覚えるしかありません。
1月は1番の人差し指の頭。2月と3月は4番の中指の頭。4月は7番の薬指の頭。5月は2番。6月は5番、7月は7番、8月は3番、9月は6番、10月は1番、11月は4番、12月は6番の中指の第2関節となります。
 ということで、日の数え方は各月の先頭の場所が一日(ついたち)となり、そこから順番に数えます。7の薬指の頭に来たら次は1の人差し指の頭に戻ります。ということで、4月なら7の薬指の頭ですから、ここが一日(ついたち)となり、1の人差し指の頭が二日、2の人差し指の第2関節が4月3日となります。数える方向はいつも同じです。

 では実際に5月5日は何曜日か調べて見ましょう。
 5月は2番の人差し指の第1関節ですから、ここが一日(ついたち)になり、順に5まで数えると6番の中指の第2関節となりますね。
 そこで曜日ですが、今年の場合は1番が火曜日でしたから、そこから6番まで順にたどると答えは日曜日となります。
 では、もう一つ11月11日を調べて見ましょう。
 11月は4番の中指の頭ですからここが一日になり、そこから11番目まで数えると7番の薬指の頭になります。ということは1番の火曜日から辿ると月曜日ということになります。手持ちの本当のカレンダーで確認してみてくださいな。
 ※注意1:月の覚え方は、月の頭文字を取って1番から順に「いごはふろくよ」と覚えます。
 但し、1番は1月と10月、4番は2月と3月と11月、7番は4月と7月が重複することを覚えて下さい。なお、これは閏年では変わります。覚え方は「いとこにいさんむく」あるいは「いじゅうごにさむく」とすると覚えやすいでしょう。
 ※注意2:調べたい年の1月1日が何曜日であるかを知っておく必要があります。
 ※注意3:翌年を調べたいときは、12月31日が何曜日かを調べ、1月1日が何曜日になるかを調べて1番の位置が何曜日かを設定する必要があります。
 ※注意4:月末付近を調べるには1から順に数えるのは面倒なので、たとえば25日なら、4週目になるから、1日・8日・15日・22日・29日は同じ位置に回って来るので22日から23・24・25と数えれば近道です。30日なら29日の次ですからもっと速いですね。
 ※注意5:曜日も日も数える向き(方向)は1番から7番で、7番の次は1番に戻ることをお忘れなく。くどいですが、日の開始位置は割り当てられた月の処からのスタートになりますよ。 

X まとめ
 母が説いたように、目の見えない私には確かに指は耳の次にずっと目の役割を果たしてきたように思う。
 さて、皆さんはこんな故事をご存知だろうか。「群盲象を評す」、「衆瞽(めしい)象を撫ず」。これは、インドのジャイナ教の伝承が元になり、各地でいろんな表現や解釈がされるようになったものだが、数人の盲人に象を触らせたとき、足を触った盲人は「柱のようだ」、尾を触った盲人は「綱のようだ」、鼻を触った盲人は「木の枝のようだ」、耳を触った盲人は「扇のようだ」、腹を触った盲人は「壁のようだ」、牙を触った盲人は「パイプのようだ」と答えました。それを聞いた王は、「あなた方は皆正しい。あなた方の話が食い違っているのは、あなた方がゾウの異なる部分を触っているからだ。ゾウは、あなた方の言う特徴を、全て備えているのです」と。
 この話の教訓は、同じ真実でも表現が異なる場合もあることであり、異なる信念を持つ者たちが互いを尊重して共存するための原則を示している。
 また、その経緯ゆえに、「木を見て森を見ず」 と同様の意味で用いられることがあり、「物事や人物の一部、ないしは一面だけを理解して、すべて理解したと錯覚してしまう」ことの、例えとしても用いられる。また、仏教ではそれを信じない人を「群盲」イコール「愚かな人間」と解釈している考え方もあると記述されている。
 ということで、私は一部の考えだけに固執せず、広い視野で物事に対処する「愚盲」ならぬ「賢盲」でありたいものだと考える。
 下らない文章にお付き合いありがとうございました。

《お楽しみ懸賞クイズ》


 今回は、また「私は誰でしょう」形式の問題です。なお、「私」は人間とは限りませんぞ。各問題に答えに関連する幾つかのヒントを上げています。そのヒントを参考にお答えください。
 全問正解者には抽選で5名様にささやかな豪華景品をプレゼントします。奮ってご解答をお寄せください。

 応募について:解答は、書面かメールで、編集者までお寄せください。(電話での応募はご遠慮下さい)。
 応募先:〒641ー0013 和歌山市内原871ー9 北口 豊
 Eメール owlmail-from-tomtarotan@silver.plala.or.jp
 応募締め切り:2019年 5月10日(必着)


○問1 
・ヒント1 1947年11月生まれ、東京都出身、趣味は映画鑑賞・旅行     ・食べ歩き等、血液型B型
・ヒント2 平成30年度和視協第2回教養講座講師
・ヒント3 和歌山放送元アナウンサー


○問2 
・ヒント1 日本ではハシブト・ハシボソの2種類が主な私の仲間
・ヒント2 鳥の中では知能が高く、41語の言葉を使い分けるよ
・ヒント3 私の入浴は短時間だよ


○問3 
・ヒント1 たまき レオナルド ハイチ まり 根室漁協組合長
・ヒント2 プロテニス女子プレーヤー
・ヒント3 今年2月現在、シングルスランキング世界1位


○問4 
・ヒント1 重症筋無力症 キャサリン・ヘッティンガー
・ヒント2 クルクル回る単純なおもちゃ
・ヒント3 子供や若者の間で爆発的に流行。ゲリラカイトや、ルー
      ビックキューブ・アメリカンクラッカー・フラフープな      んてのは私の先輩かな?ダッコちゃんじゃないよ。


○問5 
・ヒント1 趣味は手芸や料理、特にお菓子作り、子供も大好き
・ヒント2 モンゴルウランバートル出身
・ヒント3 今年初場所で初めて優勝


○問6 
・ヒント1 日本語では背嚢(はいのう)
・ヒント2 ドイツ語の「Rucksack」が語源でナップザックなどもお     友達
・ヒント3 主に登山やハイキング等で食料などを入れて運ぶのに使     われるが、最近では町中でもよく見かけるように、電車     内では一番嫌われものにランクイン


○問7 
・ヒント1 体調は5から8センチ程度、体重は14から23グラムのちっ     ちゃくて可愛い動物だよ
・ヒント2 外気温が12度以下になると丸く丸まって冬眠する様子
     から、マリネズミ・コオリネズミとも言われるよ。
・ヒント3 日本の山小屋にある布団やタンスの中で冬眠することも     あり、林業に携わる人々からは、山の守り神として大切     にされ、天然記念物にも指定。生きた化石とも言われる よ。


○問8 
・ヒント1 私が住むと言われるのは鹿児島県肝付町の権現山
・ヒント2 私を世に広く紹介してくれたのは漫画「ゲゲゲの鬼太      郎」のあの水木しげるさん
・ヒント3 夜、闇の中を滑空するムササビを妖怪の私と思ったと      か、最近でも未確認飛行物体として各地で目撃情報があ るんだよ。


○問9 
・ヒント1 私は1958年生まれ。ミステリー、サスペンス小説家。
デビュー作は「放課後」
・ヒント2 主な受賞歴 江戸川乱歩賞、日本推理作家協会賞長編部 門 直木三十五賞、中央公論文芸賞、柴田錬三郎賞、吉     川英治文学賞等
・ヒント3 代表作に、「秘密」、「ナミヤ雑貨店の奇蹟」、「麒麟 の翼」 「手紙」等、多数


○問10 
・ヒント1 和歌山市視覚障害者福祉協会
・ヒント2 会務録や会員からのエッセー、俳句や川柳も掲載
・ヒント3 今回は第47号だより

《編集後記》

 天皇の交代することを「御代代わり」(みよがわり)と言うようですが、「平成最後の…」という冠があちこちで称えられています。文字通りこの「白い杖」も平成最後の発刊となりました。
 ご案内の締め切りを過ぎても全く材料がなく、小正月を過ぎてから原稿をお寄せ頂いた方々に泣きついたような次第で、何とか今回も無事に発行することができました。改めて原稿を頂戴した皆さん、ありがとうございました。
 この機関誌が皆様のお手元に届く頃には新元号も発表されているのでしょうか。昨年発覚した障害者雇用率の水増し等、今頃バタバタと数字合わせで公務員の障害者枠を広げたりしていますが、会長の巻頭言にもあったように、我々が暮らしやすい社会の実現が1日も早くはっきりした形になることを願いつつ編集後記といたします。
(編集者 北口 豊)

  和歌山市視覚障害者福祉協会機関誌「白い杖」(通巻第47号)
  発   行   平成31年 3月
  発 行 者   和歌山市視覚障害者福祉協会
  編集責任者   畠中 常男
          電話 073-472-7872
          〒640-8314 和歌山市神前285ー16
           Eメール hatakenaka@jtw.zaq.ne.jp
       和視協のホームページ http://washikyo.org/
 
 編集スタッフ   畠中 常男   北口 豊   幸前 勇
          寺本 津規子  松下 淳二



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